「佐渡さああ〜ん! ベルリン・フィル・デビュー、おーめでとおおおー!」
野太い男性の声が兵庫芸術文化センターの大ホールに響いた。続けて満員の客席から大きな拍手が湧き起こった。
6月18日。PAC(芸術文化センター)オーケストラとマーラー・チェンバー・オーケストラの合同公演によるマーラー作曲『交響曲第三番』の演奏が始まる直前、まだオーケストラのメンバーが出てくる前に、指揮者の佐渡裕さんがマイクを手にして1人で登場したときのことだった。
「ありがとうございます」そう言って軽く頭を下げた佐渡さんは、言葉を続けた。
「ここに帰ってくると、我が家に戻ったという気分で、ほんまに落ち着きます。ベルリンでは僕も、ほんとに嬉しかったです。なにしろチケットも買わずに、タダでベルリン・フィルの演奏を聴けたんですから」
ホールが大爆笑に包まれるなか、佐渡さんはマーラーの大曲『交響曲第三番』の解説を面白く話し始めた。それは佐渡裕さんが記念すべきベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会(5月20〜22日)の指揮台に立ってから、1か月も経たないときの出来事だった。
その日、楽屋に佐渡さんを訪ねた私は、ベルリンでのコンサートのチケットを差し出しながら、ひとつ質問を口にした。
――何か……変わったこと、ありました?
何しろ「ベルリン・フィルの指揮者になる」と、小学校の卒業文集に書いた「夢」が40年近くを経て実現したのだ。心境や環境に変化が生じないはずはない、とも思われた。
「そうやねえ……何か、変わったことがあったかなぁ……」
そう言いながら、私の差し出したチケットにサラサラサラとサインのペンを走らせながら、佐渡さんは、質問の意図を理解して、少々苦笑いしながら言葉を詰まらせた。
「まだ総括ができてないというのかなぁ……。ベルリン・フィルを指揮したあとも、いろいろ仕事があって……今日のマーラーの準備やら……この3日間のコンサートのあとはヨハン・シュトラウスの『こうもり』も待ってるし……」
確かにベルリン・フィルハーモニー管弦楽団という「世界最高峰のオーケストラ」の指揮台に立ったとはいえ、この日指揮するマーラー室内管弦楽団も、ヘルベルト・フォン・カラヤンのあとを継いでベルリン・フィルの常任指揮者となったクラウディオ・アッバードが中心になって組織された、これまた世界でトップレベルの新進気鋭のオーケストラ。
しかもマーラーの『交響曲第三番』はソプラノのソロに女声合唱と少年合唱も加わり、最も規模が大きく長い交響曲としてギネスブックにも掲載されたことがある大曲だ。
さらにその演奏会の後、8日間連続のオペレッタ『こうもり』は、毎夏恒例の兵庫芸術文化劇場自慢の大人気オペラ公演というだけでなく、今年は「世界一のカウンターテナー(メゾソプラノの声質を持つテノール歌手)」と言われたヨッヘン・コワルスキーという大歌手の引退興行という意味合いもある。
ベルリン・フィルを指揮という「夢が叶った」その余韻に浸る暇など、佐渡さんには存在しないようだ。
そういえばベルリン・フィルを指揮する前も、状況は同じだった。
3月下旬にヨーロッパへ渡り、まずイタリア・ヴェニスのフェニーチェ歌劇場でブラームスの『ドイツ・レクイエム』を指揮して以来、5月下旬のベルリン・フィル・デビューまでのあいだに佐渡さんはドイツ各地で6回ものコンサートを指揮した。しかも、そのうちの2回はベルリン・フィルとのコンサートが決まったあとに入った仕事で、「3・11」の大震災を受け、日本を励ます意味を込めて企画されたデュッセルドルフでのベートーヴェンの『第九交響曲』のコンサートなども加わっていた。
またミュンヘンでは、バイエルン国立歌劇場管弦楽団を指揮するチャイコフスキー『交響曲第四番』のコンサートもあった。ベルリン・フィル以上の歴史を誇るこのオーケストラは、リヒャルト・シュトラウスなども音楽監督を務めた伝統あるオーケストラで、これだけでも大ニュースになる出来事だった。
そんな目白押しのハード・スケジュールをこなしたあと、ベルリン・フィルと2日間、各3時間のリハーサルを行い、3日間の本番演奏を迎える……というのは、子供の頃からの「夢の実現」というには、あまりにも苛酷な現実……と言えるかもしれなかった。
それが、ベルリン・フィルを指揮する直前に、佐渡さんが口にした言葉だった。
じつは震災のあと、佐渡さんは多忙なスケジュールの合間を縫って、なんとか東北の被災地を訪れ、被災者の方々を少しでも力づけることができないものかと考えた。福島県には、かつて一緒に音楽を演奏した高校の吹奏楽部のメンバーもいる。が、周囲のスタッフは、彼の東北行きにストップをかけた。
それは、これ以上スケジュールがタイトになるのを避けたい、というよりも、指揮者の佐渡裕が被災者にできることを考えるなら、まだまだ現地に受け入れ態勢がないことも事実だった。慌てて被災地を訪れなくても、これから先、いくらでも音楽で被災者を勇気づけ、被災地を元気づける機会はあるはず……。
そんなスタッフの気遣いに納得し、ベルリン・フィルの指揮台に立つ前の仕事をひとつひとつ全力でこなし始めた佐渡さんにとって、大きな心の支えとなったのは公子夫人の言葉だった。
「ベルリン・フィルを指揮するいうのは、やっぱり特別というか、彼の子供の頃からの夢ですからね。リハーサルが始まるまでに、演奏する曲目をじっくり勉強し直したいとか、ゆっくり心を落ち着かせたいという気持ちもあったようでした。でも、わたし、言うたんです。いつもとおんなしで、ええのんとちゃうのん?……って。 ベルリン・フィルやからって特別なことするより、いつもとおんなしのほうが、うまいこといくような気がするって……」
その話を夫人から伺ったのは、ベルリン・フィルとの3日間のコンサートが終わったあと、ベルリンの日本料理店での打ちあげパーティの席でのことだった。その緩やかな関西弁から出てきた「いつもとおんなし」という言葉は、大舞台を前にした佐渡さんの心を、ナチュラルに落ち着かせたに違いなかった。
そういえば、佐渡さんの最新刊『僕が大人になったら 若き指揮者のヨーロッパ孤軍奮闘記』(PHP文庫)には、次のような一文が書かれている。
《僕は最近まで「自信」とは、自分を強く見せることのように錯覚していた》しかし《ほんとうの自信とは、ありのままの自分を信じられること》……。
とはいえ「自信」は、往々にして揺らぐもの。そんなときの公子夫人のさりげない自然な一言は、佐渡さんの心を和ませ、《ありのままの自分》を《信じ》、《自信》を取り戻す大きなきっかけになったに違いない。そして「いつもとおんなし」ように多忙なスケジュールを全力でこなすなか、ベルリン・フィルとのリハーサル、さらに本番の日を迎えたのだった。
ベルリン・フィルを指揮する楽曲は2曲。1曲目は武満徹作曲の『5人の打楽器奏者とオーケストラのための"From me flows what
you call time"(あなたが時と呼ぶものが私から流れ出る)』。そして2曲目は、ショスタコーヴィチ作曲『交響曲第五番』。
武満の作品は、ベルリン・フィルのメンバーには初めて演奏する楽曲。佐渡さんは、昨年9月にPACオーケストラで演奏した経験があった。しかも東洋的な水墨画の世界のようなサウンド……となれば、いかに世界最高峰のオーケストラといえど、この40分に及ぶ静謐で神秘的ともいえる大曲を演奏し切るには、日本人指揮者の指示を仰ぐほかない。
このような(日本人指揮者が優位に立てる)楽曲がプログラムに含まれていたことは、天下一品のヴィルトゥオーソ(名人)オーケストラの指揮台に立つ佐渡さんにとっては、大いにプラスの材料と言うことができた。
しかも、この作品の冒頭で尺八のような東洋的な音色を響かせるのはベルリン・フィルのフルート首席奏者エマニュエル・パユさん。ソリストとしても有名で日本のファンも多く、佐渡さんが司会をするテレビ番組『題名のない音楽会』にもゲスト出演したことのあるフルーティストだ。その番組でパユさんは、次のような話を披露していた。
「オーケストラの会議というのは、いつもつまらなくて、うつらうつら居眠りするものです。が、突然『SADO』という名前が聞こえたので慌てて目を覚まし、定期演奏会で指揮してもらうことに賛成の手をあげました」
33歳の若き日本人ヴァイオリニスト樫本大進さんがコンサートマスターを務めていることとともに、このように佐渡さんを熱く支持するミュージシャンがメンバーのなかにいたことも、初めてベルリン・フィルの指揮台に立つ佐渡さんにとっては心強いことだったに違いない。
何しろ「世界一流の名人揃い」のオーケストラには、数々の「武勇伝」も語り継がれている。たとえば初登場した指揮者が最初のリハーサルで、1、2、3、4……と指揮棒で四拍子を刻み、いざ音楽を始めようとしたところが、オーケストラの誰も音を出さない。驚いた指揮者が怪訝な顔で、「どうして音を出さない?」と訊ねたところが、コンサートマスターがこう答えたという。
「マエストロ。我々はみんな、この楽曲が四拍子であることを知っています」
そのような「怖ろしい伝説」も語り継がれるヴィルトゥオーソ・オーケストラを、サーカスのライオンにたとえた指揮者もいる。猛獣使い(指揮者)の腕が確かでないと、ライオン(オーケストラのメンバー)は命令に従わない。
しかしオーケストラのメンバーは、断じてライオンではない。人間である。しかも誰もが繊細な神経の持ち主のミュージシャンである。そんな彼らを、なかには力でねじ伏せ、自分(のやりたい音楽)に従わせようとする指揮者もいる。が、佐渡さんは、断じてそのような指揮者ではない。
「オーケストラのメンバーの誰もが、こういう演奏をしたかった、と心から思えるような演奏をさせること。それができたら最高やね」
日頃からそんなふうに語っていた佐渡さんだが、さすがに相手が世界最高峰の名人オーケストラともなると、少々勝手が違うところもあった……という以上に、佐渡さん自身が緊張し、遠慮するところもあったようだ。
ショスタコーヴィチの『交響曲第五番』のリハーサル冒頭、ベルリン・フィルのメンバーが日本を襲った地震と津波に対して支援のメッセージを送ってくれたことに感謝することから始まった練習だったが、コンサートマスターの樫本大進さんは練習の合間に、「もっと自分の考えを喋ったほうがいい。もっと自分の持ってるイメージを伝えたほうがいい」と言い続けたという。
しかし、そんな「堅さ」も、リハーサルが進むにつれて消えていったという。それは第3楽章の凍てつくロシアの大地のような冷たい音楽にさしかかったとき、音楽を止めた佐渡さんは、ドイツ語でこう言った。
「この部分は寒く冷たいモノクロームの世界です。でも、そこにチェロが、たとえば真っ赤な色合いでメロディを奏でます……」
さらにオーボエが寂しげな、しかし美しいソロを奏でるところでは、
「ここでは指揮をしません。一つ一つの音を丁寧に、自分で歌うように演奏して下さい。この部分は子守唄ですから……」
そうして佐渡さんの頭に描く音楽が、ベルリン・フィルのメンバーにも伝えられ、イメージが共有されていった……。そんなリハーサルの様子を佐渡さんのスタッフから聞いた私は、期待に胸をふくらませて本番2日目のコンサートに足を運んだ。それは、ほんとうに素晴らしい演奏だった。
五角形の形状をした2440席の満員の客席の間を縫うようにして、まず赤緑青黄白の原色のシャツに身を包んだ5人の打楽器奏者が現れ、オーケストラと共に水墨画のような武満徹の音楽による時空間を紡ぎ出した。
その音の美しさに酔い、まるで龍安寺の石庭を眺めているような気分でいると、オーケストラが不気味な音を奏で、打楽器が激しく鳴り響き、禅寺の石庭はまるで三陸の津波の被災地のような風景に変貌した。そしてホールの高い天井近くまで伸びた5色の布が引き絞られると、その布の先にある風鈴のような楽器が優しい音を響かせる。その天上の音は、鎮魂か、救済か……。
「あなたが時と呼ぶものが私から流れ出る」というタイトルの通り、始まりもなく、終わりもないような「音楽による時」が、ベルリンのフィルハーモニー・ホールから流れ出たあとは、大拍手とともにドイツ人の観客から「ブラヴォー!」の声が飛んだ。彼らは、日本人以上に武満の音楽を愛しているようにも思えた。
そして休憩を挟んでショスタコーヴィッチの『交響曲第五番』。
第1楽章冒頭の低音弦(チェロとコントラバス)と高音弦(ヴァイオリン)の強烈な音の掛け合いで幕を開けた音楽は、冷たいロマンチックな悲しみや激情的なサウンドをあふれさせた。さらに第2楽章では木管楽器が諧謔的なおどけた響きを吹き鳴らし、コンサートマスターの樫本大進さんが、見事な遊び心に満ちた小洒落たソロを掻き鳴らす。
しかしなんと言っても素晴らしかったのは第3楽章で、これほど美しく微かに響くヴァイオリン群のピアニッシモを、私ははじめて耳にした。さらにそのピアニッシモをバックに、オーボエやフルートの奏でた「子守唄」の美しかったこと! しかも、この静謐な悲しみに満ちた音楽が、これほど東洋的に響いたのも初めての体験だった。そして最終楽章。フィナーレの壮大な歓喜! 圧倒的な音の爆発がホール全体を包み込み、それまでの凍てついた世界を、すべて吹き飛ばした。
ホールは大拍手と「ブラヴォー!」の声に包まれ、私も「ブラヴォー!」を叫び、両手のひらが痛くなるほどの拍手を贈った。私だけではない。誰もが、それほどの拍手を心から贈りたくなる演奏だった。
ベルリン・フィルの演奏は、過去に来日公演を2度聴いたことがあった。もちろんLPレコードの時代から、CD、DVDの時代となった今日まで、録音録画やテレビ中継も通じて、この名人オーケストラの世界中のどんなオーケストラよりも巧みで上手い演奏は、数え切れないほど耳にしてきた。
が、その日の佐渡さんの指揮による演奏は、いつもの鮮やかで見事な演奏とは少々異なる、本気のナマ演奏とも言うべき演奏であり、オーケストラの響きだった。
「練習のときから、ああ、これが昔からレコードで聴き慣れた響きや……という漢字でね。本番1日目の昨日は、もう無我夢中で、自分でも何をやったかよう覚えてなかった。けど、今日は確かな手応えというか、自分の指揮棒で、自分の思うような演奏ができたと思う」
2日目のコンサートのあと、内輪の友人たちだけで集まった夕食会の席で、佐渡さんはそんなふうに語った。
そして翌日の最終日の演奏会が終わったあとの打ちあげパーティの席では、佐渡さんはこう語った。
「今日は何かが舞い降りて来たというか……別の世界に入った……。僕とベルリン・フィルが一つになって音楽に没入しました。もう……最高の気分でした」
佐渡さんの指揮は、ドイツの新聞の音楽評でも絶賛され、ベルリン・フィルのメンバーたちからも高く評価された(そのことは演奏会のあとに毎晩、多くのメンバーによって、呆れるほど多くのビールのジョッキを傾けられたことからもわかった)。おそらく佐渡さんは、これからも何度か、世界最高峰のオーケストラであるベルリン・フィルハーモニーの指揮台に立つことになるだろう。が、佐渡さん自身は、次のように呟いたのだった。
「いつか、ヴァルトビューネで指揮したいなあ……」
それは毎年6月下旬、前年の秋から続いた音楽シーズンの締めくくりとしてベルリン市郊外の「森の舞台(ヴァルトビューネ)」で催される野外のピクニック・コンサート。広大な芝生席に1万人以上の人々が集まり、椅子やシートを持ち込んで、ワインを飲んだりサンドイッチをつまみながら音楽を楽しむ。
1993年には小澤征爾氏が指揮台に立ち、最近はNHKも毎年放送しているので御存知の方もいるだろうが、テレビの『題名のない音楽会』で大人気を集め、淡路神戸の大震災の復興事業の一つとして作られた兵庫芸術文化センターでの佐渡さんのコンサートやオペラのチケットはほとんど常に完売、子供のためのオーケストラ(キッズ・オーケストラ)などの地域活動も実践している佐渡さんには、最もお似合いの「世界最高峰のオーケストラによるコンサート」と言えるだろう。
そもそもベルリン・フィルとは、そういうオーケストラ――佐渡さんにお似合いのオーケストラなのだ。多くのヨーロッパのオーケストラは、王立歌劇場とか宮廷歌劇場と呼ばれた貴族の権威と財産のなかから生まれたが、1867年に市民向けコンサートのためのオーケストラとして誕生し、屋根付きのスケートリンク場での活動から市民に愛されるようになったベルリン・フィルハーモニーは、ナチスの時代や東西分裂の時代でも常に、市民のためのオーケストラとして存在し続けた。
そして現在は、3人のコンサートマスターをイスラエル人とユダヤ系ポーランド人と日本人が占め、イギリス人のサイモン・ラトルが主席指揮者兼芸術監督を務めている。それはドイツという国家をも凌駕する「世界都市ベルリン」を象徴する「世界市民オーケストラ」とも言えるのだ。
そのことに気付くと、今回の佐渡さんの快挙――小学生のときからの「夢の実現」に、ますます拍手を贈りたくなる。それは佐渡さんが個人的成功を収めたというだけでなく、我々すべての日本の音楽ファン、佐渡ファンが、世界最高峰の「世界市民オーケストラ(ベルリン・フィル)」の音楽(ハーモニー)を愛する(フィル)聴衆になることなのだから。
佐渡さん! 次はヴァルトビューネで! |