掲載日2003-12-04 |
この原稿は、2004年8月1日、横浜みなとみらいホールで行われた『ワールドカップ一周年記念コンサート』で配布されたパンフレットに掲載されたものです。ちなみに、そのときの演奏者は、次の通りです。
佐渡裕・指揮 PMFオーケストラ
晋友会合唱団 東京オペラシンガーズ
小倉智昭・司会
ヘレン・クォン(ソプラノ)
坂本朱(メゾ・ソプラノ)
佐野成宏(テノール)
キュウ=ウォン・ハン(バリトン) |
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サッカーと音楽の合体――それがスポーツ!
それがワールドカップ! |
スポーツと音楽。それは文化として、兄弟のような関係にある。
天上に住む神々のような美しい身体、強靱な肉体に少しでも近づこうとして競い合うなかで生まれた文化がスポーツならば、神々の美しさ、力強さを讃えるために歌われ、奏でられたところから生まれた文化が音楽。
だから、古代ギリシアのオリンポスの祭典でも、陸上競技や格闘技が行われる一方で、詩の朗読や竪琴の演奏などが芸術競技として行われた。日本の相撲にも、触れ太鼓や甚句といった音楽が伴っている。
ワールドカップのときも、開会式や閉会式で音楽を伴ったイベントが催され、スタンドでは各国のサポーターが、それぞれの国の特徴的な歌を伴った応援を繰り広げた。スポーツに音楽は付き物。という以上に切り離すことのできない強い絆で結ばれているのだ。
今宵ワールドカップ日韓大会1周年を記念して催されるコンサートの冒頭に鳴り響くのは、ドイツの大作曲家リヒャルト・シュトラウス(1864〜1949)作曲の交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』のファンファーレ(というより映画『2001年宇宙の旅』のテーマといったほうがわかりやすいかも)。
トランペットがハ長調で、♪ド〜ソ〜ド〜と吹き鳴らす単純にして迫力にあふれたファンファーレは、様々なスポーツ・イベントで用いられ、F1レースの開始前にも、この曲がサーキットに鳴り響くことが多い。
2曲目は、イタリアの大オペラ作家ジュゼッペ・ヴェルディ(1813〜1901)が作曲した大傑作オペラ『アイーダ』から「凱旋の合唱」と「凱旋行進曲」。これは、サッカー・ファンなら(もちろんオペラ・ファンも)知らない人はいないだろう。日本代表チームを応援するサポーターが、♪ウォッ・ウォー・ウォウォウォ・ウォッウォッウォッと声を張りあげた応援歌の原曲である。中田や稲本といった選手たちも、W杯の期間中、練習が終わったあとや、試合前バスに乗り込むときに、気分を盛りあげるために、このメロディで声を張りあげていた。
原曲のオペラは、エジプトのスエズ運河の開通(1869)を記念してカイロに建設された新しいオペラハウスの柿落とし(1871)のためにつくられたもの。ピラミッドやスフィンクスを建設していた時代の古代エジプトの将軍ラダメスと、エチオピアの王女アイーダの悲恋を描いたオペラで、エジプト軍を率いたラダメスがエチオピア軍を破って凱旋してくる場面で演奏されるのが、この音楽。
オペラを難しいクラシック音楽と考えている人がいるかもしれないが、もともとイタリアで生まれたこの総合芸術は、庶民の文化として発展し、モーツァルトやヴェルディの残した美しい歌は、作曲された当時は流行歌として多くの人々に歌われた。だから、サッカー(イタリア語ではカルチョ)という庶民のスポーツ文化と結びつくのは、当然のことなのだ。
3曲目は、ヴェルディに続くイタリア・オペラの大作曲家ジャコモ・プッチーニ(1858~1924)の名作『トスカ』のなかのアリア(オペラのなかで歌われる独立した歌)「星は光りぬ」。フランス革命(1789)のあと、歌手のトスカの恋人でありナポレオンに心酔する革命派の画家カヴァラドッシが、トスカに横恋慕した保守派のローマの警視総監スカルピアによって殺される、という筋書きのオペラで、この歌は、牢獄につながれたカヴァラドッシが、星の光を見つめながら死に行く運命を嘆いて歌われる。とはいえ、その深刻さとは裏腹に、プッチーニ特有の美しいメロディが愛され、テノール歌手がコンサートで歌うときの定番になっている。
4曲目もプッチーニのオペラ『ジャンニ・スキッキ』のなかから美しいアリア「私のお父さん」。このオペラは中世のフィレンツェを舞台に遺産相続を巡って繰り広げられるドタバタ喜劇で、娘のラウレッタが父親のジャンニ・スキッキに向かって、「愛する彼との結婚をゆるしてもらえなければ、ポンテ・ヴェッキオ(フィレンツェで最も美しく、有名な橋)からアルノ川へ身を投げて死にます」と訴える。
テレビCMのバックに使われたこともあるこの曲も、プッチーニ独特の甘美なメロディが多くの人々に愛されている。
5曲目はオーケストラの演奏で、マスカーニ(1863〜1945)作曲のオペラ『カヴァレリア・ルスティカーナ』の間奏曲。シチリアを舞台にしたこのオペラは、人妻に手を出した青年が、向こう見ずにもその夫と決闘をすることになるという、まさにタイトル(『田舎の騎士道』という意味)どおりの筋書き。このオペラは、映画『ゴッド・ファーザーPART』のなかでふんだんに用いられ、最後に年老いたマフィアのドン(アル・パチーノが)が死んでゆくときも、この間奏曲が使われた。
6曲目は、韓国の歌『舟歌』。もの悲しくも美しいメロディの多い韓国の音楽は、日本の演歌や歌謡曲のルーツともいわれている。大陸の文化(中国文化)の影響を受けつつも、独自の文化を創造した韓国と日本。両国民が、その共通点と相違点を理解するうえで、昨年のワールドカップが果たした役割は大きかった。が、それは、両国の音楽を聴き較べることでも可能なことに違いない。
7曲目は、日本の歌『翼をください』(山上路夫・作詞/村井邦彦・作曲)。1971年にフォークソング・グループ「赤い鳥」が歌って大ヒットしたこの曲は、一時期、日本代表チームを応援するための歌として、サポーターによって歌われた。その前にサポーターによって歌われた名曲『上を向いて歩こう』もそうだが、日本の名曲は、美しく口ずさみやすいメロディのなかにも、どこかさびしく、もの悲しい雰囲気が漂うものが多い。その意味で、日本代表チームを応援できる新しい歌の出現が待たれる。
そして最後は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770〜1827)作曲の『交響曲第9番』より第4楽章。ドイツの大作家フリードリヒ・フォン・シラー(1759〜1805)の残した詩「歓喜の歌」の大合唱をふくむこの交響曲は、日本では毎年師走になると多くのオーケストラによって演奏され、あらゆるクラシック音楽のなかで最も日本人に好かれている音楽ともいえる。
1〜3楽章まで続いた音楽のメロディが、4楽章になって、「このようなメロディではない!」と否定され、「さあ、みんな、もっと朗らかで喜びに満ちた調べに声を合わせよう!」というバリトン歌手の歌声ののち(この部分の歌詞だけは、ベートーヴェン自身が作詞した)、あの有名な♪ミミファソソファミレドドレミミーレレ・・・という有名な(そして簡単で単純な)メロディの「歓喜の歌」が歌われる。
素晴らしい名曲を数え切れないくらい数多く作曲したベートーヴェンが、最後の最後にたどり着いたメロディが、♪ミミファソソファミレ・・・というきわめて単純なものだった、ということはきわめて象徴的だ。
フランス革命を経て、それ以前の貴族が支配する社会から民主主義の社会へと変わりつつあるなかで、自由主義・民主主義思想に共鳴したベートーヴェンは、誰にも歌える歌――佐渡裕氏の言葉を借りるならば、「魚屋さんも八百屋さんも肉屋さんも、郵便配達してる人もサラリーマンも、その奥さん連中も子供たちも、オジイチャンもオバアチャンも、世界中のみんなが声を合わせて歌える歌」――をつくりあげたのだった。
究極の音楽、とは、そういうものなのかもしれない。ならば、音楽と兄弟関係にあるサッカーも・・・。システムがどうの、4バックだの3バックだのといわず、誰もがもっと単純に個々の力を発揮すれば・・・などと書くのは、牽強付会が過ぎるだろうか?
(文中、ベートーヴェンの訳詞は、音楽評論家の吉村渓氏の翻訳を参考にさせていただきました)
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