昨秋の某日、Qという男から、電話がかかってきた。
「えらい忙しいときに迷惑なこっちゃろけど、またちょっと教えてほしいことができて、電話さしてもろたんや」
Qからの電話はこれで2度目である。1度目の電話は一昨年の春で、そのときQは、わたしに向かって次のような話をした。
「突然の電話で堪忍やけど、ワシ、Qっていうもんで、あんたとは小学校時代の同級生やったんやけど、おぼえとらんかなあ。いや、おぼえてへんのやったら、べつに思い出してくれんでもええのやけどな、ちょっと訊(たん)ねたいことがあって電話さしてもろたんや。ほら、今年の秋にカルロス・クライバーとウィーン・オペラとかなんとかちゅうのんが日本にやってきて、S席が6万5千円とかいう目ン玉が飛び出るような催しをやりよるやろ。それ、ほんまに6万5千円もの価値があるもんかどうか、ちょっと教えてほしいと思て……」
わたしは、初めての電話にしては(Qの主張によれば「30年ぶりの会話」になるらしいが)、いやに馴れ馴れしく話すQの言葉の意味がよく理解できなかった。そこで、いったい何をいいたいのかと聞き返すと、Qは次のように言葉を続けた。
「いや、早い話が、もしも、その切符をワシが何枚か手に入れることができたら、高い値ぇで買うてくれるひとがおるもんかどうか、そのときどのくらいの値ぇがつくもんかどうか、そこいらあたりを教えてくれそうなんは、ワシのまわりではアンタくらいしかおらんもんやよって、電話さしてもろたんや」
話の内容に興味が湧き、わたしは、「おまえはダフ屋か」といった。
「そういわれたらミもフタもないけど、まぁ、そんなもんや。近ごろはバブルがはじけたあと、もんなシケとってな。阪神も負けてばっかしで、甲子園では商売にならんし、ガンバもさっぱりや。ところがびくりしたことに、クラシックやオペラなんちゅう催しは、今でもアホみたいに値ぇの高い切符が飛ぶように売れと〜るちゅうやないか。ほいでワシらも、これからは、ベートーベンとか、ナンタラ・シュトラウスなんちゅうもんの研究でも始めよかと思とるんや。なんせ、1枚の切符がバイヅケで6万5千円も儲かるんやから、こんなボロイ商売、ほかにないよって……」
「バイヅケって……?」
「二倍の値ぇで切符を売るこっちゃ。バイヅケ6万5千円ちゅうことは、甲子園の切符やったら20枚分や。2〜3枚さばくだけで新幹線往復使ても充分モトがとれる。サンバイヅケちゅうことにでもなったら、もう、一攫千金の世界や。どや? オペラが好きな連中って、どのくらいの値ぇまでやったら財布の紐(ひも)緩めよるんやろ?
クライバーちゅう指揮者やったら、かなりのセンでイケルちゅう話も聞いとるんやけど、ホンマやろか? ほかに日本で人気のあるクラシックの演奏会いうたら、どんなもんがあるんやろ? そこいらあたりを、ちょっと教えてもうたらありがたいのんやけど……」
わたしの出身地である京都の祇園町には、このテの連中がけっして少なくない。小学校の同級生のなかから、このテの道に進むようになった男が現れても不思議ではない。が、Qと名乗る人物をどうしても思い出すことができなかった。また、このテの連中と妙な関わり合いを持ちたくないとも思っていたので、
「おれはクラシック音楽に関してはシロートで、感想文を書いてる程度なので、そういう話はよくわからん」
と、お茶を濁して電話を切ったのだった。
が、気分は悪くなかった。
あきらかな違法行為とはいえ、やくざモドキのダフ屋が「カルロス・クライバーやリヒャルト・シュトラウスの研究をはじめる」というのは、どことなく愛嬌がある。痛快でもある。愉快である。
かなり気取って鼻が高い日本のクラシックやオペラの世界も、ようやく「真に庶民的な階層」にまで広がるようになったか……という感想の当否はさておき、クラシック音楽やオペラを権威主義と教養主義で自分の立場をガードする道具に用いている連中よりも、「ボロイ商売」と露骨に(正直に)口にする男のほうが(少なくとも、わたしには)好感を持つことができる。
そんな男から2度目の電話がかかってきたので、わたしはマイッタナァ……と思いながらも、今度はどんな話題かと少しばかり胸をわくわくさせながら、受話器に耳を強く押し当てた。
「東京の国立競技場で三大テナーのコンサートとかいう催しがあるやろ?あれ、切符買い込んだら儲かるモンかどうか、ちょっと教えてくれへんか。それに、ナゴヤドームのコケラオトシはパヴァロッティのコンサートで、大阪ドームのオープニングはドミンゴとカレーラスにダイアナ・ロスが一緒になったコンサートが予定されてるとも聞いたんやけど、どないやろ? 金額は万単位でエエ商売になりそうなんやけど、オペラやクラシックにトーシローのワシでも、二番煎じ三番煎じの気ぃがせんでもないのんやけど、客は入るもんなんやろか? どないやろ……?」
わたしは、わくわくとふくらみかかっていた胸が急にしぼむのを感じ、
「つまらん電話はかけないでくれ」
といって、受話器をガチャンと切った。
クライバーやシュトラウスの研究を……といっていたはずなのに、そででは「ただのダフ屋」じゃないか!
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