<玉木版 第一幕 第二場>
登場人物:男B(岡野)、女b(お艶)、男C(神崎与五郎)
※神崎与五郎は大石内蔵助と一人二役。
江戸下町の長屋。花火見物の賑わいの中、岡野が登場(舞台1上手から中央へ)。
その後ろで、男Cが、大石の衣裳から神崎の衣裳に着替えながら見つめる(衣裳は、全て着替えるのではなく、帽子や上着の処理だけでもよい)。
岡野はお艶(舞台2に奧より登場)を探している。お艶は手持ち無沙汰に岡野を待っている。
岡野 |
こころはとうにあの世にあって、この世に残したおのれを見ている。(お艶の姿を見つけ、ため息)足が地についた感じがしないのはなぜだ。生死のはざまで宙ぶらりんになっているせいか? それとも・・・恋の仕業か。朝からおれは浮かれ気味だ。 |
神崎与五郎 |
「軒下を見るにつけ、雨でもないのに雨宿り。」夕立ちに濡れて深まる仲もある。 |
岡野 |
(微笑混じりに)あれは恵みの雨だった。おれをお艶に引き合せてくれたんだから。 |
神崎 |
女を濡らす色男め。流し目ひとつで、むこうからよろめいてきたな。 |
岡野 |
(照れ笑い) |
お艶 |
(独り言)あんな手紙書かなきゃよかった。あの人は何というだろう。返事しだいではあたしはいい恥さらし。(岡野を見つけ。手を振りながら)あの人がこっちへやってくる。何だか顔が火照ってきたわ。 |
|
岡野は米屋に身をやつし、大工の棟梁の娘お艶と懇意になっている。 |
舞台1から舞台2へ上る階段に足をかけ、岡野はお艶の顔を放心の態で見つめる。
神崎 |
穴のあくほど見つめているぞ。 |
お艶 |
照れるじゃないの。(笑う) |
神崎 |
おれまで照れる。 |
岡野 |
(我に帰って、舞台1から舞台2へ上る)いや、ずっと前にも何処かで会ったような気がしてね。 |
お艶 |
何いっているの。あんたが米屋だから私と会えたんでしょ。もし、あんたが侍だったら、あたしなんかと一生会うこともなかった。 |
岡野 |
侍(さむらい)は嫌いか? |
お艶 |
嫌いよ。いざという時に死ぬのが商売なんて。 |
岡野 |
今の世に切ったはったは流行(はや)らないだろう。 |
神崎 |
米屋に流行(はや)りすたりは無いだろう。 |
お艶 |
(笑いながら)嘘よ。でもあんたには米屋のままでいて欲しい。だって・・・ |
岡野 |
何だい? |
お艶 |
(はにかみながら)だって米屋の九十郎さんに惚れたんだもの。 |
神崎 |
よし、その調子だ。(神崎は、舞台袖に椅子をとりに行き、椅子に座って、岡野とお艶のラヴ・デュエットに耳を傾ける。舞台1上手隅。) |
お艶は岡野の手に自分の指をからませ、花火を見ながら歌い出す。
お艶のアリア「この女はあんた一人のもの」 |
あたしは大工の棟梁の娘。
惚れた男は一途に尽し、
朝露と花火が大好きで
甘いものには目がない女。
あんたを思って日が上り、
あんたが帰って日が暮れる。
あんたがそばにいれば、
あたしの一日はまたたく間。
あんたと離れている時は
時が澱んで進まない。
こんなにも好きになれる人が
何処の横町に隠れているかしら。
あんたと一緒ならきっと
悲しみも楽しみながらやってくる。
あんたはわかっているのかしら、あたしはあんた一人のものだって。
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岡野はお艶の手を握り、花火に向かって歌う。
岡野のアリア「優しい憧れの住み処」 |
この暖かい小さな掌(てのひら)に
おれが逃(の)がした大きな宝がある。
恋は闇の中の手探りに似ている。
だが、闇を照らす花火の下では
お艶の心がよく読める。
おれは今、束の間の夢に酔っている。
がおれを見ている?夢がおれを見ている?(お艶を見る)
優しい憧れの住み処(すみか)でおれがなすべきはただひとつ。
おれに惚れた女をとことんいつくしんでやるだけだ。(お艶の体を引き寄せる)
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芸者衆と幇間の戯れ歌 |
[お艶]
恋の手管を知らないあたしを笑わないでください。
軽はずみの恋なんかじゃないの。
もしあんたが本気じゃないなら、今すぐ帰って
縁結びの
神様は
気まぐれなのよ。
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[岡野]
おまえの真心は隠せない。
おまえの一途さはよくわかる。
いつまでもこうしていよう。
おれは
その
気まぐれに逆らってみせる。
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花火はクライマックスを迎える |
[お艶]
ああ、名残りの花火が終わる。
あんたの恋も花火のようにはかないものなら・・・
あなたを信じてもいいの?
あしたまで喜んでいいの?あしたまで
あんまり嬉しくて、胸が苦しいの。
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[岡野]
ああ、優しい闇が過ぎ去ってゆく。
それをいうな、お艶。おれの思いはあの世まで続く。
おれはおまえを疑いはしない。
なぜそんなことを聞くんだ?
おれも嬉しいよ、お艶。
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(笑いがだんだん悲しみに変わる) |
何の気まぐれか、花火があたしの思いを 何の気まぐれか、花火が照らしてくれた。ああ
空を焦がす花火よ。この胸を焦がした男の気持ちが変りませんように。
この世に出戻った男を愛するなんて
何の気まぐれか、花火があたしの思いを
何の気まぐれか、花火がお艶の思いを明るく照らしてくれた。ああ
照らす。ああ
可哀相な女だ。
空を焦がす花火よ。この胸を焦がした男の気持が変わりませんように。
この世に出戻った男を愛するなんて
|
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神崎 |
(椅子から立ち上がり)花闇や、恋初(ぞ)めと見て、時雨かな。
さて、もう一人の色男はどうしたかな。 |
そのまま第三場へ
<玉木版 第一幕 第三場>
登場人物:男C(神崎)、女c(遊郭の女主人)、女a(綾衣)、男A(橋本)。
女c(遊郭の女主人)が舞台2奧より登場。下手の階段を下りて舞台1へ。
神崎が舞台1上手より中央へ。そこで女cと会話。
舞台1下手より登場した花火見物も終わり、世も更けた。綾衣と橋本は性交を終えた
橋本と綾衣は舞台2奧より登場。橋本は腕枕で横になり、綾衣は、彼の身体に打ち掛けを掛ける。
神崎 |
いつまで待たせるんだ。花火は終わっちまったぞ。こっちの花火も早く打ち上げさせろよ。 |
女主人 |
今夜は戦(いくさ)も同然だ。(神崎に)何しろ女一人に六人も客がついているもんで。 |
神崎 |
色の安売りもいい加減にしろ。綾衣は? |
女主人 |
綾衣?綾衣は諦めた方がいいですよ。あれは気位の高い侍の娘だよ。 |
神崎 |
上等じゃないか。 |
女主人 |
明るいうちから泊りの客がついちまったからね。 |
神崎 |
安けりゃ安いで愛想がねえな、おまえんとこは。 |
女主人 |
冗談じゃないよ。そんなに飢えてりゃ、夜鷹でもいいだろ。うちの女はみんな器量がよくて、情(じょう)が深いんだ。 |
女主人は舞台1下手へ退場。神崎は舞台1上手へ。再び椅子に座り、舞台2上での綾衣と橋本を見つめる。
綾衣 |
ああいやだ、いやだ。色を売るのは沢山だ。(橋本にしなだれかかり)わたしがとるのは恋を買う客だけ。 |
綾衣 |
もう寝たの?平左衛門さん。 |
橋本 |
寝てないよ。おれが寝たら、おまえは別の客のところに行ってしまうんだろ。 |
綾衣 |
安心してお眠りよ。何処にも行きはしないから。わたしは決めたんだ。あんたにだけは真実(まこと)を尽すって。 |
橋本 |
誰にでも同じ文句をいってはいまいな。綾衣。 |
綾衣 |
気分を損ねた。 |
橋本 |
(首を振り)花火もこれで見おさめか。 |
綾衣 |
来年もこうしてまたあんたと一緒に花火見物がしたいね。 |
橋本 |
ああ、そうだね。ここではない何処か別のところで。 |
橋本と綾衣の二重唱とアリア「この国の春はとこしえか |
[綾衣]
この国は春はとこしえか、
夢見るように
恋を、
恋が醒めたら夢を見る
むなしい、恨めしい、恋、夢、仮寝の、
女一人、
生きているのか死んでいるのか。
楽しみは愁(うれ)いに変わり、
怒りや嘆きは笑いに変わる。
世の移ろいも人様々なれど。
あまりに退屈。
また暑い夏がきてじきに冬になる。
現(うつつ)の人も
影こそが、
真実(まこと)を語る。
金がすべての世なれど
金で願いの叶うものなし。
|
[橋本]
この国の春はとこしえか、
夢見るように
恋を生き、
恋が醒めたら夢を
夢を見る。
むなしい、恨めしい、恋、夢、仮寝の、
めでたくもありがたい、この泰平の浮世に暮す。
男一人、
どちらにしても同じこと、
楽しみは愁(うれ)いに変わり、
怒りや嘆きは笑いに変わる。
元禄の世は
また暑い夏がきてじきに冬になる。
夢に紛(まぎ)れる。
影こそが
真実(まこと)を語る
犬様の天下にあっては、男も女も猫、杓子。
どちらにしても同じこと。恨みつらみも笑いに変わり、
笑い上戸が泣き上戸に、泣き上戸が笑い上戸に変わってしまう。
金がすべての世なれど
金で願いの叶うものなし。
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橋本 |
(寝言で)花を愛する、花を愛する侍(さむらい)は太く、太く短く生きるべし。 |
綾衣 |
(いぶかるように)花を愛する、花を愛する侍(さむらい)?太く短く・・・この人は終わりを決めて生きている。そうだ、真実(まこと)の真実(まこと)はきっと死ぬこと以外にはない。
末期の末期に真実(まこと)が明かされる。(笑い)わたしと心中?わたしと心中?
どうかしてるわ。
近松にかぶれたのかしら。廓(くるわ)に真実(まこと)なんてありはしないわ。
心中なんてしたら、主人が喜ぶだけだ。真実(まこと)を求めて客がいっぱい、
いっぱいやってくる。
金が全ての世の中のくせに・・・、金が全ての世の中なのに・・・
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舞台1上手で椅子に座って舞台2を見つめていた神崎は、「心中」という言葉に反応して立ち上がる。
橋本 |
憶い出し笑いか?おれにも少し笑いを分けてくれ。 |
綾衣 |
(ハッとして)起きていたの? |
橋本 |
そういえば、ここの廓が流行るのは前に心中があったからだと |
綾衣 |
ああ、お苗(いね)ちゃんと彦左衛門さんのこと。 |
橋本 |
男はおれと同じ左衛門さんか。 |
綾衣 |
お苗(いね)ちゃんはずるいよ。自分だけさっさとこの世から引き揚げちまってさ。 |
橋本 |
何だい、綾衣。おまえも死にたいのかい? |
綾衣 |
死にたくても死ねないのさ。わたしの体は他人様(たにんさま)のものだからね。 |
橋本 |
おまえの命には証文がついているんだな。 |
綾衣 |
女の盛りがすぎたら、借金もなくなるでしょう。でも、その頃には身寄りもなくただ寂しく
老いさらばえてのたれ死に。 |
橋本 |
この国の春はとこしえか、夢見るように恋を生き、恋が醒めたら夢を見る。 |
綾衣 |
平左衛門さん。わたしはあんたが羨ましいんだ。 |
橋本 |
なぜだ? |
綾衣 |
あんたは最期を見つめて暮らしているんだもの。 |
神崎は再び椅子に座り、次のアリアの間にウトウトと船を漕ぎ始める
橋本のアリア「金で買われたうぐいす」
おれだって自分で死ぬ日を、自分で決められない。
いつもと知れぬその日をただ待つ身だ。
おれの腹の底には命を惜しむ心もある。
死ぬのが怖くなったわけではない。
次の世の軒先で暮らすのが嫌になった。
でも、おまえと一緒にいる限り、
おれの心は無邪気にさえずる。
できれば、おまえを籠の外へ解き放ち、
その心を優しく暖めてやりたいが、
金で買われたうぐいすを
金で買われたうぐいすを
金で買われたうぐいすを
身請けするにも金が要る。 |
綾衣 |
この国の春はとこしえか、夢見るように恋を生き、恋が醒めたら夢を見る。
(悲しげに)ホーホケキョ。ホーホケキョ。 |
男B(岡野)が舞台1上手より登場。神崎の肩を叩いて起こす。
神崎はたちあがる。二人は、舞台1中央へゆっくりと進む
橋本 |
許してくれ、綾衣。 |
綾衣 |
金が全ての世の中なれど、金で願いの叶うものなし。 |
橋本 |
おまえと一緒にいる限り、おれの心は無邪気にさえずる。 |
綾衣 |
どちらにしても同じこと、どちらにしてもホーホケキョ。 |
岡野と神崎は、舞台1中央から、舞台2上の綾衣と橋本を(客席に背を向けて)見つめる。
暗転
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