私にとって、すばらしいスポーツに接した思い出はすばらしい音楽とともに記憶に残っている。
1981年秋、ニューヨークのヤンキー・スタジアムでメジャーリーグのワールドシリーズをはじめて見たときは、スタジアムの周辺でヤンキースのユニフォームをまとったブラスバンドが、『星条旗よ永遠なれ』『雷神』『士官候補生』といったジョン・フィリップ・スーザの爽快な吹奏楽を次つぎと演奏していた。
試合開始前には、当時メトロポリタン歌劇場で活躍していたバリトン歌手のロバート・メリルがホームプレート付近にあらわれ、『カルメン』のエスカミーリョをうたうときのような張りのある声を響かせ、アメリカ国歌を朗々とうたいあげた。
その数日前、モントリオールのオリンピック・スタジアムで見たプレイオフでも、スタジアムはすばらしい音楽に包まれた。内野スタンドの下にある巨大な通路に4か所のミニ・コンサート会場が設けられ、それぞれの場所で、弦楽四重奏、モダンジャズ、フォークソング、カントリーウェスタンが、演奏されていた。
試合がはじまるとスコアボードの巨大な電光スクリーンに漫画で描かれた指揮者があらわれその指揮に合わせて5万人の大観衆が『ハッピー・ワンダラー』という古いフォークソングを♪ヴァルデリ~ヴァルデラア~ヴァルデリ~ヴァルデラッハッハッハッハッハ……と大合唱した。
5年前にドジャー・スタジアムを訪れたときは、コニー・フランシスが国歌をうたい、懐かしい歌声を聞かせてくれた。また、1992年に東京で行われた世界陸上選手権でも見事な歌を聴くことができた。
おれは大会最終日に第1コーナー付近の観客席上段に陣取っていたイタリア選手団がうたった『恋する兵士』だった。すでに競技を終えた20人ほどの選手たちがイタリア国旗を打ち振り、声を揃えて歌い踊ったその曲は、モーリス・ベジャールの振り付けたバレエでも有名になったナポリ民謡だが、そのときのイタリア選手団の底抜けに陽気な歌と踊りはベジャールの芸術に優るとも劣らず、国立競技場の空がとつぜんメディタレニアン・ブルー(地中海の青)に染まったかと思えるほどだった。
4年前の夏、フランスでF1グランプリを見たときも、音楽が見事にイベントを盛りあげていた。予選がおこなわれているときのサーキットには、パッヘルベルの『カノン』、アルビノーニの『アダージョ』、バッハの『G線上のアリア』、ドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』、ショパンの『ノクターン』といった静かな音楽が流れ、F1マシンの鼓膜を破るような轟音がふと途切れたときなど、ワイン畑の列なるブルゴーニュの夏の炎天下に、一瞬の涼風が吹き抜ける思いがした。
決勝の日になると、リヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』の冒頭のファンファーレや、ワーグナーの『ワルキューレの騎行』といった勇壮な音楽が轟き、レース開始直前には、どこからともなくジュゼッペ・ヴェルディのオペラ『ナブッコ』の大合唱曲『飛べ、わが思いよ、金色の翼にのって』が聴こえてきた。
♪飛べ、わが思いよ、金色のつばさにのって…
そして、やすらげ、わが故郷の丘の上で…
最初は静かに、徐々に盛りあがるなかで、フェラーリの旗を振っていたスタンドの観客はもちろん、ピットで慌ただしくマシンの調整をおこなっていたメカニックたちもしばし手を休めて歌声に和した。その後、26台のマシンがいっせいに猛烈なエグゾースト・ノートを響かせ、壮烈なバトルが開始されたのだった。
1990年にイタリアで行われたワールドカップ・サッカーでは、ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスという3大テノール歌手が一堂に会し、カラカラ浴場のステージで見事な歌の饗宴を催した(そしてスタジアムでは、サポーターたちがヴェルディのオペラ『アイーダ』の『凱旋行進曲』を大合唱した)。そのコンサートがあまりにも評判だったので、4年後の昨年(1994年)アメリカで開催されたワールド・カップでも同じ3人による喉の競演がドジャー・スタジアムで再現された。
そういえばドミンゴとカレーラスは、モンセラート・カバリエ、テレサ・ベルガンサといったスペイン系の歌手と一緒にバルセロナ・オリンピックの開会式でも見事な歌声を披露した。またパヴァロッティは、イタリアのモデナでおこなわれた世界馬術選手権で、スティング、ズッケロ、ルチオ・ダッラといったロック・シンガー、ポップ・シンガーとともにすばらしいコンサートを催している。
このコンサートは『パヴァロッティ&フレンズ』というタイトルで、のちにスポーツ・イベントから離れてシリーズ化され、毎年モデナで催されるようになり、ブライアン・アダムス、エリック・クラプトン、エルトン・ジョン、ライザ・ミネリ、B.B.キング、パコ・デ・ルシア…といったミュージシャンまで参加するようになった。
海外のイベントばかりではない。一昨年(1993年)幕を開けたJリーグの開会式では、TUBEのリード・ヴォーカルの前田亘輝が、硬質の澄みきった高い声で、戦争や軍国主義の臭いがまったく感じられない新鮮な『君が代』を見事に歌いあげた。
そしてわたしにとって忘れられないのは古関裕而作曲の2曲、1964年東京オリンピック開会式に響いた『東京オリンピック行進曲』であり、1985年、あのタイガース・フィーバーのなかで連日甲子園球場で歌われた『六甲おろし』の大合唱である。
祭りに音楽は付き物。しかもスポーツと音楽は、言葉では表現不可能な人間の感情をあらわす「アート」(芸術・技術)として、まったく同種のものである。同種のものが結びつくのは当然のことといえよう。
そのうえ、スポーツも音楽も、どちらも時間とともに消え去るものである。たとえビデオやCDに記録として残されることはあっても、本質的には一期一会。瞬間、瞬間、一瞬、一瞬のうちに消えてゆく。それは、思い出にしか残らない。だから美しい。美しいものこそ文化である。スポーツも、音楽も、人間が最も大切に育てなければならない文化なのである。
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