今年(2000年)の1月、トリノとミラノを訪れて、改めてイタリアとは「歌の国」「音楽の国」だと思った。「カンツォーネの国」「オペラの国」だと思った。
たとえば、街角にあるキオスクでCDを売っている。雑誌よりも少し大きめのボール紙にアーティストの写真や名前が印刷され、薄いプラスチックで覆われたなかに市販されているCDが入っている。
それがリッカルド・ムーティ指揮ミラノ・スカラ座によるヴェルディのオペラ『仮面舞踏会』だったり、あるいは、ルチアーノ・パヴァロッティの『オペラ・アリア集/ナポリ民謡集』だったりする。それらがキオスクの軒先に吊され、週刊誌や新聞、タバコやガムと一緒に2枚組1万6千リラ(約千円)前後で売られているのだ。
今回の旅行では、アルベルト・シュヴァイツァーの『バッハ・オルガン曲集』という掘り出し物をキオスクで手に入れた。アフリカでの風土病の研究で名高いシュヴァイツァー博士は、バッハの研究家であり、オルガニストとしても有名なのだ。
それに、ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるモーツァルトの『レクイエム』(歌手はエリザベート・シューマン他)と、マーラーの交響曲『大地の歌』(歌手はキルスティン・トルボルク他)という珍しい2枚組CDもキオスクで買うことができた。
街角で、そんな貴重なCDが気軽に手に入るのは、イタリアくらいなものではないか。
さらに今回の旅では、ミラノのスタジアムでセリエAのサッカーの試合(インテル対カリアリ戦)を見たが、サポーターの声援や歌声の大きさに驚いた。
7万5千人収容の巨大なスタジアムに5万人くらいの観客が入っていたのだから、地元のインテルを応援する声が大音響となって響くのは当然だ。が、5百人にも満たないカリアリのサポーターたちの声も大きく響いた。ひとりひとりの声量が豊かで、前方へ伸び出るように、よく声が通るのだ。
その声を聞きながら試合を楽しむうちに、「ああ、これがベルカントというものか・・・」と納得した。イタリア人は、誰もが自然に、イタリア・オペラやナポリ民謡をうたうようなベルカント唱法(イタリア語で「美しい声」という意味の発声法)を身につけているのだ。
いや、そうではない。話は、逆だ。イタリア人の喉と骨格と自然な発声が、イタリア・オペラを生み出し、カンツォーネを生み出した、というべきだろう。
要するに、イタリア人というのは、生まれつき歌をうたい、多くの歌や音楽を生み出す人種といえるのだ。
それがメディタレニアン・ブルー(地中海の青)や輝く太陽といった美しい自然環境によるものかどうかは知らない。が、五線譜を考え出したのもイタリア人なら、フォルテ、ピアノ、ダ・カーポ、アンダンテ、アレグロといった音楽用語もほとんどがイタリア語で、イタリアは「世界の音楽の母国」「歌の故郷」といえるのだ。
じっさい、ロックン・ロールのスーパースター・エルヴィス・プレスリーにも、イタリア人のベルカント唱法の先生がついていたという。そして『オー・ソレ・ミオ』のポップス・ヴァージョンを歌ったりもした。
そういえば、かつては日本のポップス・シーンも、イタリアのカンツォーネの影響を受け、イタリアで成功することを目標にしていたときがあった。
サンレモ音楽祭の優勝曲『ヴォラーレ』が世界中で大ヒットし、日本でも人気を博したのをきっかけに、ボビー・ソロの『ほほにかかる涙』、ジリオラ・チンクエッティの『夢見る思い』などが、いまの宇多田ヒカル並みの評判になったものだった。そしてミルバの『恋の終わり』という和製カンツォーネ(なかにし礼・作詞/宮川泰・作曲)まで誕生し、ヒットした。
だからわたしは、♪ダウナラクリマスルヴィ〜ゾ〜・・・とか、♪ノンノレタア〜、ノンノレタ〜・・・などと、イタリア語の意味もわからないまま、ボビー・ソロやチンクエッティの歌の出だしを、いまもうたうことができる。
そして日本のカンツォーネ・ブームは、伊東ゆかりがサンレモ音楽祭に出演したことで頂点に達した。それは、東京オリンピックの翌年、わたしが中学1年になったとき(1965年)のことで、ダグラスだかボーイングだかの四発プロペラ機にタラップを登って乗り込む伊東ゆかりの姿がテレビのニュースでも流された。
さらに、振り袖姿でカンツォーネをうたう彼女の姿が映し出されたとき、なにやら子供心にもモノスゴイ快挙がなされた、と思ったものだった。彼女のうたった歌の曲名は忘れてしまったが、♪ブラッチャミイ〜、ブラッチャミイ〜という歌詞とメロディだけは、いまも記憶している。
その後、サンレモ音楽祭はどうなったのだろう? いまも行われているのだろうか? 詳しい事情は知らないが、ビートルズの出現以来ロックが世界を席巻し、イタリア・オペラのように歌いあげるカンツォーネは「時代遅れ」になってしまったようだ。
とはいえ、イタリアのディスク・ショップに入ると(当たり前の話だが)カンツォーネ(イタリアの歌)がヒットチャートの上位の棚に並んでいる。なかにはロック風のカンツォーネやイタリア語のレゲエやラップといったイタリアン・ポップスもあったが、オペラ調の純然たるカンツォーネもあった。
そのなかで「これは!」と思ったのが、最近日本でもCDが発売されたフィリッパ・ジョルダーノという女性歌手である。
彼女はイタリアン・ポップスもうたっている。それが素晴らしいという友人もいるが、わたしは、彼女のうたうオペラのアリアが最高に気に入った。
ベッリーニの『ノルマ』、ヴェルディの『椿姫』、プッチーニの『トスカ』、それにビゼーの『カルメン』などのアリアをポップス調のアレンジメントで(といっても、あまり崩さずに)うたっているのだが、見事なテクニックと澄んだ美しい高い声でオペラ歌手以上に歌の中味を表現しているように思える。と同時に、オペラのアリアってこんなに美しかったのか・・・と改めて気づかされた。
ポピュラー歌手がオペラをこんなに上手く・・・などと驚くことはない。たぶん日本の演歌歌手が木曽節やソーラン節をうたうようなものにちがいない。自分たちの血となり肉となっている歌をうたっているだけのことなのだ。
今回の旅行では、ミラノ・スカラ座でオペラを見ることはできなかった。が、外壁に貼り出されていたポスターを見ると、『ウエストサイド・ストーリー』が上演演目に並んでいて、驚いた。
が、その驚きも、すぐに消えた。『ウエスト・サイド・ストーリー』は見事なクラシックであり素晴らしいオペラにちがいない。それに、それが、イタリア流のやり方なのだ。音楽の国イタリアでは、昔も今も、ありとあらゆる音楽が愉しまれているのだ。
イタリアで食べたペペロンチーノは相変わらず絶妙の美味しさだった。バローロの味わいも最高だった。それに、いまもフィリッパ・ジョルダーノのような歌手が出現し、100年以上前の歌を新しく蘇らせている。イタリアは、いつまで経ってもイタリア、なのだ。 |