山下洋輔さんが関わった東京オペラシティの『ニューイヤー・ジャズ・コンサート』は、2000年の正月に幕を開け、2014年の正月まで、合計15回を数えた。
そのなかで印象に残ったものをひとつ……と言われてもそれは無理な相談で、すべてを客席で「体験(Take inテイクイン)」させていただいた者としては、全公演がスリリングで、驚きにあふれ、面白くて、楽しくて、とにかくどれもこれもがスゴカッタ! としか言い様がない。
ジャズ・オペレッタ(レハールの『メリー・ウィドウ』に基づく筒井康隆氏の作・脚本・演出による『不倫伝習録』)なんてものがあったかと思えば、ジャズ歌舞伎(組曲『ジャズマン忠臣蔵』)まで……、フリージャズの大御所セシル・テイラーと洋輔さんの師弟対決や、クラシック・ピアノのスタンスラフ・ブーニンとの異種格闘技のようなデュエットもあり、この15年間の新年には、毎年興奮の嵐が吹きまくった。
そんななかで、やはりメルクマールとして忘れてならないのは洋輔さんがピアノ協奏曲を発表されたことだろう。
「もうひとつの夜明け」と題された第1回のニューイヤー・コンサートで、「即興演奏家のための〈Encounter〉」と名付けられたピアノ協奏曲第1番が東京フィルのフルオーケストラをバックに初演されたのは、やはりタダモノではないジャズピアニストのギラギラと光る新たな意気込みの現れに違いなかった。
そのコンサートのあと、NHKのTV放送のなかでインタヴューする機会を得た私は、洋輔さんにストレートな疑問をぶっつけた。−−クラシックのオケと協奏曲をやろうと思ったのは、いったい何故?
すると、いつも笑顔の洋輔さんから、こんな答えが返ってきた。
「だって凄い音だよね。クラシックのオーケストラの音って、音量も音色もフルヴォリュームでしょ。そんな凄い音と一緒にやってみたらどんなことになるだろうと思って……」
そんな発想から、「即興演奏家(フリージャズ・マン)が「何か」と遭遇(エンカウンター)する音楽」が誕生したというわけだ。
栗山和樹氏の編曲で出来上がったこのピアノ協奏曲第1番は、同じく栗山氏の編曲で吹奏楽版の第2番が生まれたほか、全国各地や台北、バンコクでも再演されたうえ、指揮者の佐渡裕さんとの出逢いから、京都市交響楽団やNHK交響楽団との共演の他、イタリアやウィーンでも初演、演奏された。
N響との共演やイタリア放送交響楽団との録音CDを聴いた私は、まるでマーラーの音楽のように分厚くうねるように流れる音の響きや、それと闘ったり心地良く調和したりしながら進むピアノの様々に変化する音色に、まったく新しい別の音楽を聴く心地がしたものだった。
このあたりは佐渡さんの棒の魔術と洋輔さんの指(と肘?)の魔法の凄さでしょうねえ。
そんな佐渡さんに、ピアノ協奏曲を演奏するとは、指揮者とピアニストのどっちがボスなの? と訊いたことがある(註・この質問は、佐渡さんの師匠であるレナード・バーンスタインが、グレン・グールドと共演してブラームスのピアノ協奏曲を演奏する直前、観客に向かって発した言葉だった。“Whch
is the Boss,conductor or pianist?”。すると……
「ボスは、音楽やね」という答えを返された。
そして次に生まれた『ピアノ協奏曲第3番Explorer』は、編曲者に狭間美帆さんを起用し、まったく新しい世界へ(宇宙へ?)と「探検=エクスプローラーの旅」に飛び去ってしまった。
美帆さんは見事なまでに洋輔さんの要求を“音楽化”し、非常にクラシカルな(ベートーヴェンまで引用した)形式的な響きとジャズの自由な快楽を融合。宇宙の果てまで探索に飛び去ってしまうジャズマンの夢を叶える音楽をつくりあげた。彼女の作曲家としてのスキルは、ニューイヤー・コンサートでも、『ピアノと管弦楽のための交響詩《ダンシング・ヴァニティ》』や『Suite"Space
in Senses"』などで存分に発揮されていた。が、いやはや佐渡さんの棒の魔術と洋輔さんの指の魔法を十二分に引き出す音符の組み合わせは、じつに鮮やかと言うほかない。
若き天才ジャズ作曲家の音楽=エネルギーを得て、宇宙の果てまで飛び去り、「未知との遭遇(エンカウンター)を果たした探査船(エクスプローラー)」は、いま再び宇宙の果てから回帰(レトロスペクティヴ)してオペラシティのステージに立つ。
時空の果てまで飛翔した音楽は、はたしてどんな怪物(エイリアン)を伴って姿を現すのか、いまから恐ろしいほどに胸の高鳴りを覚えますね。
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