「子供は、親にとって、タイムマシンのような存在」・・・
アメリカ文化研究家の枝川公一さんが、そんな言葉を口にしたのを記憶している。これは、至言である。じっさい自分にも子供ができて気づいたのだが、子供は、わたしを、何度も過去の幼かったころの自分に旅させてくれた。
つまらないことで泣きべそをかいている子供を見て、自分にもそんな時代があったことに気づいた。親に叱られないで済むよう、意地を張って言い訳を繰り返している子供の姿に接したときも、自分にも同じ経験があることを思い出した。
「子を持って初めてわかる親心」という諺があるが、「子を持って初めてわかる子の心」のほうが正しいようにも思えた。
この「タイムマシン」は、もちろん大昔から存在していた。が、ハイテク技術の発展に伴い、現代では、その「機能」がそうとうに進歩したように思える。
わたしの3人の子供が小学校や幼稚園に通い始めた今から十年くらい前、わが家でも、ビデオデッキやレーザー・ディスクといったAV機器が、当たり前に存在するようになった。
それらは、もちろん、わたしや女房が映画や音楽を楽しむための機械だったが、あっという間に子供の遊び道具になった。というのは、ディズニーのアニメ映画や子供向き映画のソフトが一気に増えたからである。
そして、それらは子供専用でなく、「タイムマシン」のオプション機器として機能した。
『バンビ』『ピノキオ』『百一匹ワンちゃん大行進』『眠れる森の美女』、それに東映動画の『杜子春』といったアニメ映画は、子供が楽しむだけでなく、わたしを、それらを初めて映画館で見たときの小学生時代に誘ってくれた。
白蛇に変身する女性に心臓の高鳴りを覚えたことや、同じクラスの女子生徒が夏休みの宿題にダルメシアンの犬の絵を描き、先生に「こんな漫画のモノマネをしてはいけません」と叱られ、泣きべそをかいたことなども思い出された。
AV機器は、活字よりも数段に「タイムマシン」としての性能が高く、むかし読んだ絵本を子供と一緒に読み直したときには味わえなかった過去の世界へと導いてくれた。もちろん『龍の子太郎』や『ドリトル先生』を子供と一緒に読み直してみると、こんなに面白い物語だったのか・・・と新たな発見に驚き、それはそれで貴重な体験ではあったのだが、「子供+AV機器」の「タイムマシン」にも、新しい発見がいくつもあった。
たとえば、『不思議の国のアリス』こそディズニーの最高傑作だと気づいたのも、子供と一緒にそれを見たおかげだった。
それは、小学生のころの(プロレスと隔週で放送されていた)『ディズニー・アワー』でダイジェストを見ただけではわからないことだった。いや、あの、意味なく(ナンセンスで)意味深い冷笑的(シニカル)な笑いは、子供のときに全編を見ても、理解できなかったに違いない。
もうひとつ、大人になって初めて理解できた(というより楽しめた)作品が、『メイク・マイン・ミュージック』という音楽中心のオムニバス作品だった。これはディズニーが『ファンタジア』に続いて「音楽の視覚化」に挑んだ1946年の作品で、クラシック音楽だけだった『ファンタジア』とは違い、ジャズやポピュラーが中心になっている。
そのなかで、ダイナ・ショアやアンドリュー・シスターズの懐かしい歌声に魅了されたのだが、なかでも最高だったのは、ベニー・グッドマンのクラリネットだった。
胸に高校の頭文字、袖に二本線の入ったセーターを着た男子生徒や、背中に大きなリボンの付いたフレアスカートをはいた女の子など、1940年代のアメリカの若者たちがジルバを踊るバックに流れるベニー・グッドマンのクラリネットは、音色も、テクニックも、天下一品というほかない見事なものだった("All the cats join in"=「みんなジャズがお好き」)。
ピアノの鍵盤やいろいろな楽器が、音楽に合わせて踊り出すという、まさにジャズ音楽を視覚化した作品("After you've gone"=『君去りし後』)でも、グッドマンは、舌を巻くほかない素晴らしい演奏をしている。
ミッキーやドナルドの登場するアニメに較べて物語性のないそれらの作品は、子供たちには少々退屈だったようで、そのLDは、いつの間にか『ET』や『スター・ウォーズ』の並ぶ子供用の棚から姿を消し、『カッコーの巣の上で』や『郵便配達は二度ベルを鳴らす』の隣に移動するようになり、わたしは、あらためてベニー・グッドマンのCDを何枚も買い直すほどのファンになったのだった――。
ベニー・グッドマンで思い出すのは、「冷戦」である。
ここでいう「冷戦」は、「アメリカ対ソ連の闘い」ではない。「クラシック対ジャズの闘い」のことである。かつては、そんなナンセンスな闘いが存在したのだ。
クラシック派は、ジャズを、不真面目で軽薄で衝動的でウルサイだけの他愛ない大衆音楽だと軽蔑し、ジャズ派は、クラシックを、カタブツで事大主義で尊大で古臭く創造性にも独創性にも欠ける貴族趣味の音楽だと蔑視した。
いまは、そんな馬鹿馬鹿しい非難合戦を口にする人はいない(だろう)。が、「冷戦」は、ほんの20年くらい前まで継続していた。
じっさい、チック・コリアとキース・ジャレットが来日してモーツァルトの『二台のピアノのための協奏曲』を演奏したとき、日本の某オーケストラのコンサートミストレス(女性のコンサートマスター)は、TVのインタヴューに答えてこう語ったものだった。
「お二方(ふたかた)とも、ジャズのピアニストだというのに、非常に真面目で練習も熱心で、技術的にも素晴らしく、ほんとうに驚きました」
改めていうまでもなく、この言葉は、ジャズ・ピアニストは不真面目で、練習をあまりせず、技術的に(クラシックのピアニストよりも)劣っている、という「クラシック派」の根拠のない先入観から発せられたものといえる。
一方、ジャズ評論家としても高名な某TV司会者が、自分がレギュラー出演したナイト・ショウで、次のように語っていたことを憶えている。
「モーツァルトやベートーヴェンが現代に生きてたら、クラシックなんて見向きもしないよ。絶対にインプロヴィゼーション(即興)をやるね。昔の音楽を楽譜どおりに演奏するなんて、才能ある人間がやることじゃないよ」
この言葉も、「昔の音楽を楽譜通りに演奏する」クラシックはツマラナイ、という「ジャズ派」の浅薄な先入観から生じたものである。
そんな奇妙な「冷戦」の時代に、ベニー・グッドマンは特別な存在だった。
彼は、モーツァルトやウェーバーの『クラリネット協奏曲』をクラシックの演奏家の誰よりも巧みに演奏し、多くのクラシックのクラリネット奏者にレッスンまでしていた。と同時に、「スイングの王様」としてジャズの世界で名を馳せたのだ。
だからといって、彼を特別視するのは、間違いだろう。たしかに天才だったには違いない。が、本物の「冷戦」が、ワシントンとモスクワのあいだのホットラインで通じ合っていたように、音楽の「冷戦」も、バルトークやラヴェルがジャズの手法を取り入れ、ガーシュインがクラシックとの融合をめざすなど、「トップ」のレベルには、ほんとうは「壁」など存在しなかったのだ。
いまは、政治も音楽も、「冷戦」の時代は終わった。
ならば、ベニー・グッドマンの『カーネギー・ホール・コンサート』という名盤だけでなく、ウェーバーの『クラリネット協奏曲』の彼の名演奏も、早くCDで復刻してほしいものである。 |