ビゼーの名曲という以上に、あらゆるオペラのなかで最も有名な『カルメン』が、初演時に観客から大ブーイングを喰らい、大失敗に終わった、というのは有名な話だ。
客席にはグノー、トマ、ドリーブ、オッフェンバック、マスネ、ダンディなどフランス楽壇の大御所が座り、若き天才(当時36歳)の新作に期待が寄せられた。が、第一幕こそまずまずの拍手だったらしいが、舞台が進むにつれて場内は険悪な空気に包まれ、最後の幕が下りたときには、まばらな拍手しかなかったという。
19世紀の当時、オペラの主人公といえば純情可憐な悲劇の女王というのが当たり相場で、悪人や魔女が登場しても勧善懲悪の常識に従って滅びるのが当たり前……と信じられていた当時、自由に生き、自由に愛し、自由に恋をし、勝手気ままに生きる女が男を破滅に追い込んだのだから、観客の誰もが唖然としたのもうなずける。
しかし観客の反応が悪かったのは、それだけが理由だろうか?
ひょっとして、観客の誰もが、背筋に冷たい汗を流したのではなかったか?
「そういえば、この前出逢った女性はカルメンのような……」と思った男性だけでなく、「そういえば、あのときある男性に向かって口にしてしまった言葉は、カルメンのような……」と思わず気付かされた女性もいたに違いない。
「まずいまずい、このままでは俺はドン・ホセになりかねないぞ……」と思い、翌る日あわてて女性との付き合いを断った男性もいたかもしれないし、「そうか、私に愛を誓ったはずの男性が最近疎遠になったのは……」と気づいたミカエラのような女性もいたに違いない。
要するに観客の誰もが、どこか思い当たるフシがあり、ドキッとさせられて、舞台に拍手をするどころではなかったのではないだろうか?
もちろん今日も、名古屋駅の周辺やテレビ塔の周辺にも、大勢のカルメンやドン・ホセやミカエラが歩いているはずだ。
さて貴方は、『カルメン』を見て、聴いて、思いっきり拍手ができますか?
できますよね。それは、物語も音楽も素晴らしい、舞台の上での出来事なんですから……。
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