「シドニー五輪では、何に注目しますか?」
オリンピックが近づいたので、そんな質問をよく受ける。そこで私は、ちょっとヒネクレて、次のように答えることにしている(自分でヒネクレテルとは微塵も思っていないのですけどね)。
「芸術祭に注目しています」
相手はきょとんとした顔をする。
が、芸術祭は、オリンピック憲章でも開催が義務づけられている正式行事で、かつては「芸術競技」として、音楽や彫刻、詩歌や建築設計などの順位が争われた。
それが、今では(1952年のヘルシンキ大会以降)芸術は順位を付けるべきものではないという考えから、「芸術競技」は「芸術展示」(芸術祭)に変わったのだ(現在は「文化プログラム」と呼ばれている)。
オリンピックとは、古代ギリシアのオリンポスの祭典と同様、身体表現(スポーツ)だけでなく、精神表現(芸術芸能)を伴った「人類の総合祭典」なのである。
シドニー五輪では、貝殻の形をした有名なオペラ座で、『ドン・ジョヴァンニ』『椿姫』『トスカ』等のオペラが上演され、オーストラリアの生んだ世界的プリマドンナ、シルヴィ・ギエムのバレエ公演や、盲目のテノール歌手アンドレア・ボチェッリ、マレーネ・ディートリヒの再来といわれるウテ・レンパーのコンサート、ミラノスカラ座管弦楽団やロサンゼルス・フィルの出張公演のほか、手塚治虫のアニメや『もののけ姫』の上映などもプログラムに組まれている。
そんな「回答」をしても、「スポーツでは何に注目しますか?」と訊き直されるので、そのときは、「オリンピックよりもパラリンピックに興味があります」と答える。
オリンピックでスーパーマンたちの「超人的闘い」を見るよりも、パラリンピック出場者の「努力」を見るほうが、我々一般人に近い。
しかも、オリンピック出場選手たちのドーピングの疑いが、単なる興奮剤や筋肉増強剤の使用から、血液ドーピング、ホルモン・ドーピング、遺伝子ドーピングへとエスカレートしている今日、不必要な人体改造に手をつけた選手の活躍よりも、必要に迫られた工夫や改造をしている選手のほうが、「人類の正しい未来像」を教えてくれるようにも思えるのだ。
来年には、日本(神戸)で、第13回世界移植者スポーツ大会(臓器移植者によるスポーツ大会)も開催される。そのようなスポーツ大会こそ、スポーツの真の意義を理解することもでき、現在の肥大化商業化したスポーツイベント(オリンピック)のあり方にも、新たな道筋を教示してくれるはずだ。
もちろん、メダルが期待できる日本のサッカーや、体操、水泳、柔道、ソフトボールなど、オリンピックのスポーツ競技にも注目しないわけではない。
が、それらの競技は、何も私が取りあげなくても、あらゆるマスメディアが取りあげてくれるのだから。 |