青春朱夏白秋玄冬。
「玄(くら)い冬」が終わると「青々とした春」が幕を開ける。
冬の終わりは「別れ」の季節。そして春は「出発」の季節。冬から春は、卒業式から入学式へ、「別離」と「旅立ち」の儀式が続く。
かつて卒業式と言えば『仰げば尊し』『蛍の光』が定番。しかし今は、長渕剛の『乾杯』松任谷由実の『卒業写真』海援隊の『贈る言葉』菊池桃子の『卒業GRADUATION』尾崎豊の『卒業』などなど、じつに様々な「卒業式ソング」が歌われているという。
そんななかで、じわじわと人気の広がったのが『旅立ちの日に』という曲。
1991年に埼玉県秩父市立影森中学校の先生方(作詞は当時の校長先生・作曲は音楽の先生)によって作られた合唱曲らしいが、今では全国各地の中学高校でも歌われるようになったらしい。
ここでハタと気づくのは、「卒業式ソング」というものには、「終わり」を表すものよりも、むしろ「旅立ち」とか「始まり」を表しているもののほうが多いことだ。
そして、本来「出発点」になるはずの「入学式」には、なぜか「始まり」や「旅立ち」を表す「入学ソング」と呼ばれるものが存在しない。
卒業式に較べて入学式は、初めて顔を合わせる「将来の友達」と、まだ心の交流が生まれてないためかもしれないが、「入学ソング」と呼ばれるものは少なく、赤い鳥の『翼をください』が歌われている程度らしい。
まさか『一年生になったら』を中高大学の入学式で歌うわけにもいかず……と書いて、またまたハタと気づいたのだが、『一年生になったら』という歌も、じつは「一年生になる前」のワクワクした気持ちを表した歌で、入学式では既に「一年生になってる」わけだから、「入学式ソング」にはなりえないのだ。
そういえば、シューベルトの楽曲に『美しき水車小屋の娘』という歌曲集がある。これはヴィルヘルム・ミューラーの詩に、ドイツ歌曲(リート)の大天才作曲家フランツ・シューベルトが音楽を付けたもので、修業の旅に「出発」した若者が、美しい水車小屋の娘に恋をするのだが、狩人が現れて彼女を奪っていく。そして悲しく立ち去る若者は、小川に語りかけながら、永遠の眠りにつく……という、あまりにも純粋な若者の恋心を20の楽曲で歌いあげた作品だ。
つまり、本当の「旅立ち」(入学式)のあとには、苦難の道が待ち構えているのが現実で(そういえば『翼をください』も、どこか悲しい歌でもある)、未来に夢を描けるのは、一つの過去を無事に終えたとき(卒業式)であり、新しい未来にまだ足を踏み入れてないとき、と言えるのかもしれませんね。 |