バス・バリトンの某ベテラン・クラシック歌手のトーク・コンサートを聴きに行ったときのことだった。
「あの騒々しい音楽は、何だろうね。ジャカジャカジャカジャカ。あんなものは音楽じゃない。ただの騒音ですよ」
彼が、ステージの上でそんなふうに語ったのは、その日、コンサート会場の周辺に大勢のストリート・ミュージシャンたちが集まり、ヘヴィメタやオールディーズのロックンロールなどを演奏していたのを指してのことだった。
その楽しい演奏に思わず足を止め、しばらく身体を揺らせてからコンサート会場に入った小生にとって、彼の言葉は少々不快感を催すもので、せっかくのシューベルトの『セレナーデ』も『菩提樹』も、残念ながら心から楽しむことができなくなってしまった。
クラシック音楽の演奏家やファンのなかには、ポップスとかロックと呼ばれるジャンルの音楽を忌み嫌う人が少なくない。ジャズには理解を示しても、ロックとなると眉をしかめる。ビートルズは「認める」が、ローリング・ストーンズは「認められない」と自著に書いた世界的大ヴァイオリニストもいた。
いったい、なぜ?
たぶん、キング・クリムゾンもピンク・フロイドも、ディープ・パープルもスティーヴ・ヴァイも聴いたことがなく、早い話が食わず嫌いなだけなのだろう。が、では、なぜ、聴こうとしないのか?
それは、リズムやメロディの「違い」が原因なのではなく、「電気」に対する嫌悪感の問題といえるのではないだろうか。
クラシック音楽の演奏会は、基本的にアコースティック(純粋に聴覚的で電気的増幅を行わない)が原則だが、ロックはエレクトリック(電気による音の増幅)が前提となっている。クラシック音楽の本流(アコースティック)を愛すると自認する人々は、エレクトリック・ミュージックを「ナマ演奏」とは考えない。それは、機械の助けを借りたものであり、「実力」ではないと考える。
だからマイクと巨大スピーカーを用いた「三大テナー・コンサート」も、クラシック音楽の本流を自認する人々は「商業主義であり芸術ではない」などという(的はずれの)非難を浴びせた。そういえば、「停電によって消えるような表現は芸術ではない」と語った音楽評論家もいた。
しかし、21世紀の今日、「電気」の使用はあらゆる生活のうえでの大前提となっている。銀行の決済からコンビニでの買い物まで、さらに赤ん坊の誕生から病院での治療まで、停電という事態になればすべての生活機能がストップし、生活が成り立たなくなるのが現代社会の暮らしである。ならば、それほど生活に密着した電気を用いる表現こそが現代芸術といえるのではないか。
音楽における電気の使用には二つの意味がある。ひとつは「三大テナー・コンサート」やマイケル・ジャクソン、マドンナなどの野外コンサートのように、「電気」は、より多くの聴衆を集めることを可能にした。オペラ座やコンサート・ホールでは、どんなに多くの聴衆を集めても数千人単位の聴衆しか集められなかったのが、マイクとスピーカーを用いることによって数万人、数十万人単位の人々がコンサートを楽しむことができるようになり、さらに衛星放送を通じて数億人という地球上の人々が同時に音楽を楽しめるようになった。
これは「量」の問題であり、芸術の大衆化の問題といえる。が、一方、「電気」は音楽の「質」にも影響を与えた。音を電気信号に転換することによって、アコースティックでは不可能な新しい表現技術を次々と生み出した。とりわけ、アコースティックでは小さな音量しかのぞめないギターが、エレクトリック・ギターへと進化することによって、新たな楽器として独自の表現が可能になった。
そして、ジョージ・ハリスン、エリック・クラプトン、ジミ・ヘンドリックス、ブルース・スプリングスティーンといったエレキ・ギター奏者が、アコースティック・ギターとは異なる表現技術を次々と編み出し、人気を博すようになった。が、それらの新しい音楽表現が、長らく「ロック」と呼ばれる若者音楽・大衆音楽というジャンルの世界での出来事にとどまっていたのは、クラシック音楽の作曲家や演奏家の怠慢であり、先に述べたように「電気」に対するクラシック音楽界の嫌悪感のせいというべきだろう。
現代の必需品であり、新しい表現技術を生み出した「電気」は、特定の狭いジャンルにとどまっていられるはずもなく、民謡(民族音楽)からオペラ(ミュージカル)まで、あらゆる音楽に進出を始めた。イングヴェイ・マルムスティーン(ヘヴィ・メタル・ギタリスト)やラプソディ(イタリアのシンフォニック・メタル・バンド)などが18世紀から19世紀に生まれた音楽(クラシック)との融合をめざし、そしてスティーヴ・ヴァイ(HM/HRギタリストの第一人者)も、今宵、クラシック・オーケストラと共演する。
はてさて、高校時代にディープ・パープルの大ファンだったという指揮者の佐渡裕とともに、どんな「新しい世界」を生み出してくれるのか・・・。20世紀の代表的音楽作品である『春の祭典』と、ポスト・オペラ(ミュージカル)の大傑作『キャンディード』とともに、今宵は、20世紀から21世紀へと大きく飛翔する一夜となりそうな予感が・・・。 |