中田のイタリアでの活躍を嚆矢として、小野がオランダ、稲本がイギリス、高原がアルゼンチンへと飛躍。日本のサッカー選手も、ようやくワールドワイドの活躍を始めた(註・日本のサッカーも歴史を繰り返すほどの長さを誇るようになったのでしょうか?)。
「スポーツマンシップ」という言葉は、日本では「正々堂々」と「紳士的」なイメージがある。が、欧米では、失敗を怖れずチャレンジする精神のこと、という意味で使われることが多い。スポーツマンなら、高いレベルの舞台を目指すのは当然のことなのだ。
おまけにサッカーの場合は、野球と違い、外国チームの一員から日本代表選手に戻って、高いレベルのなかで磨いた技を発揮できる場もある。さらに彼らの抜けた穴を、どんな選手が埋めるかという期待も持てる(とくに、ガンバ大阪のユースにはいい選手が揃っているから、稲本の後釜が誰になるのか楽しみだ。註・誰も出てこなかったような…苦笑)。
プロ野球の場合は、選手がアメリカへ渡り、メジャーに加わることは、「黒船」に掠われるようなニュアンスがあり、日本球界の凋落を防ぐための改革を要求されることになるが、サッカーの場合は、日本のサッカー界にとっての大きな前進であり、ファンにとっても大きな喜びといえるのだ。
Jリーグが誕生する8年前までは、「セリエ・アー」という言葉を聞いたこともなかった人が、いまでは「フラット3でいいの?」などと口にする(註・懐かしい言葉ですね・笑)。日本のサッカー界ほど急激に発展し、強くもなった国は、世界中を探しても存在しない。
もっとも、あまりに急激な変化のため、誤解も少なくない。日本では、守備的なミッドフィルダーのことを「ボランチ」と呼んでいるが、その言葉が通じるのはポルトガル語圏だけ。それにブラジルでは、前線に素早くパスのできる本当の「舵取り役(ボランチ)の選手」しか、そう呼ばない。
さらに、中田のイタリアでの活躍(と、その前にカズもイタリアでの活躍を切望したこと)から、「サッカーの本場はイタリア」と考えている人が少なくない(カズがJでまだプレイしていることはほんとうに素晴らしい!)。が、サッカーというスポーツを生んだのはイングランド。イタリアではサッカーのことを、ローマ帝国時代からあったボールゲームの呼び方で「カルチョ」と呼んでいる。本来のカルチョと現在のフットボール(サッカー)とは、じつはまったくの別物で、イタリアはサッカーの歴史からいえば後発国といえるのだ。
もっとも、ローマ帝国時代のカルチョの精神がサッカーによって再燃したためか、サッカーはイタリア人にとって国技といえるほど熱狂的な支持を得るスポーツとなった。しかも、ワールドカップで3大会連続PK負けという「悲劇」がイタリア人の心を揺さぶった。
1990年は準決勝でアルゼンチンに、94年は決勝でブラジルに、98年は準々決勝でフランスに、それぞれ延長戦の結果同点でのPK戦で負けたのは、偶然の結果とはいえ、イタリアの国民的音楽であるヴェルディのオペラに描かれた悲劇と生き写しの出来事となった。
『椿姫』や『リゴレット』でも、『アイーダ』や『オテロ』でも、最後に主人公や、その愛する人物が死に、残された人々が「モ〜ルタア〜!」と泣き叫んで幕となる。そこで観客は「ブラ〜ヴォ〜!」と叫んで大拍手を贈る。
メシが不味く、寒く暗い国では、悲劇はあまり好まれない。現実が暗く、舞台までが暗くては、やりきれない気分になってしまうのだろう。が、太陽の輝く「アモーレ、カンターレ、マンジャーレ」(恋して、歌って、食べて)国では、非日常的な空間での悲劇が好まれるのだ(近松の心中悲劇を好む日本人も、根っこは陽気で明るい民族なのだ)。
後発国とはいえ、いまや世界最高レベルとなったイタリア・サッカーを理解するには、ヴェルディのオペラを見、ヴェルディの音楽を聴くべし。もちろん、試合場でもサポーターたちは『アイーダ』の凱旋行進曲を大合唱している。
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推薦CD
★『マジック・ヴェルディ〜ヴェルディ名歌劇への招待』(東芝EMI TOCE55329〜30)
ヴェルディ・オペラの入門CD。一一作品の名場面の音楽が36曲も入っている。
★『ドン・カルロ』(東芝EMI TOCE9485〜87)
カラヤン指揮ベルリン・フィルほか。本来なら「アイーダ」を推薦すべきだろうが、この『ドン・カルロ』こそシンのイタリアオペラ最高傑作。この音楽に酔えるようになれば、イタリア人の(カルチョに賭ける)心情も理解できる?
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