山下洋輔の歴史は、紀元前6世紀にまで遡る。その頃、ギリシアの数学者ピタゴラスが弦を弾(はじ)きながら倍音と協和音を発見し、「世界は美しく共鳴する!」と宣言したとき、オリンポスの祭典競技のパンクラチオンに出場していたソクラテスに肘撃ちのコーチをしていたヨスケス・ヒジウチス・ヤマシタスは、「世界には不協和音もあるんじゃ!」と叫んでピタゴラスの使っていた竪琴を肘撃ちで叩き割った。
紀元6世紀頃になってローマ教皇グレゴリウスT世が教会の聖歌隊に単旋律(モノフォニー)の聖歌を歌わせたとき、「日出ずる処の楽士、日没する処の楽士に書を致す。つまらなきや」と手紙を書いて送ったのが、山下皇子洋輔太子だった。
時は下って西暦1730年前後、ヨハン・セバスチャン・バッハが『平均律クラヴィーア曲集』を作曲したとき、「平均なんぞ面白くない」といって『極大極小律クラヴィーア曲集』を作曲したのが、天才バッハ一族の異端児で、大バッハの義理の従兄弟(いとこ)の娘婿(むすめむこ)の兄にあたるヨスケハン・ヤマシタチャン・バッハだった。
西暦1760年代、まだ10歳にもならないウォルフガング・アマデウス・モーツァルトが、父親のレオポルト・モーツァルトに連れられて、ピアノを弾いたりウンコをまきちらしたりしながらヨーロッパ中をドサまわりしたとき、「おれの肘撃ちを受けてみろ!」といって見事に天才児アマデウスの「尻撃ちウンコ弾き」を打ち負かしたのが、レオポルトの私生児ヨスケガング・ヒジデウツ・ヤマツァルトだった。
西暦1818年、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが、ルドルフ大公に献呈するピアノ・ソナタ第29番変ロ長調『ハンマー・クラヴィーア』を作曲したとき、初演者としてその曲を演奏し、ほんとうにハンマーでクラヴィーア(ピアノ)を叩き割ってしまったピアニストが、ベートーヴェンと彼の永遠の恋人エリーゼ・フォン・ブルンスヴィク伯爵令嬢とのあいだに生まれた隠し子ヨスケヴィヒ・フォン・ヤーマシターエンだった。
西暦1840年頃、パリの社交界で「ピアノの詩人」と呼ばれたフレデリック・フランソワ・ショパンが、愛するジョルジュ・サンドにピアノ演奏を聴かせたとき、「アマダレルナ!」と苦しいギャグをとばしながらピアノを奪い取り、『ノクターン』でノックダウンしたピアニストが、ピーターパンと不思議の国のアリスとの間に生まれたヨスケリック・ジャポネーズ・ヤマシタパンだった。
西暦1850年頃、スティーヴン・フォスターが、スワニー河を船で下りながら、金髪のジェニーに向かってバンジョーを掻き鳴らし、「オー・スザンナ!」と名前を間違えて叫んだとき、ケンタッキーのわが家に向かって草競馬の馬を走らせ、故郷の人々に会いに行ったオールド・ブラック・ジョーと呼ばれた青年が、ヨスケーヴン・ヤマシターだった。その後、ヤマシター青年は、ケンタッキーの小さなわが家に着いたあと、スコット・ジョプリンと名前を変えたという。
西暦1920年頃、アメリカからヨーロッパに旅したジョージ・ガーシュインが、フランスでモーリス・ラヴェルと対面し、管弦楽編曲の天才といわれた大作曲家に向かって「オーケストレーションを教えてください」と頭を下げたとき、そのことを聞きつけてニューヨークの「コットン・クラブ」での仕事をキャンセルしてパリに駆けつけ、二人の前で『ボレロ』をピアノで弾き、一台のピアノがオーケストラ以上に多彩な音色の出ることを聴かせて教えたピアニストが、ヨスケージ・ヤマシタインだった。
西暦1950〜60年代、ニューオリンズでトランペットを吹いていたルイ・アームストロングに、世界は日の出を待っていることを教えてシカゴへ引っぱり出し、マイルス・デイヴィスやディジー・ガレスピーとリング上で闘わせたピアニストが、日本でプロレスラーとしても活躍していたルイ・エルボウストロング山下だった。
そして西暦2001年1月9日、紀元前から生き続け、ベートーヴェンをぶっ飛ばし、ラヴェルをねじ伏せ、何度も何度も名前を変えて世界中で寝室亀没――じゃなかった、神出鬼没の活躍をしてきた数え年2千数百歳のピアニスト「ヤマシタ・エルボウストロング・ヒジウチ・ヨースケ」は、今日ここに、身長187センチ体重85キロのパートナー「マルキ・ド・サド・ザ・ジャンピング・コンダクター・ユタカ」とタッグを組み、リングに上がる。闘う敵は、世界歴代作曲家ドバラダ連合チーム。
炸裂するエルボウ・スマッシュが嵐を呼ぶか、爆発するジャンピング・ボディ・プレスの指揮棒が竜巻を起こすか! これは、絶対に見逃せない、いや、聴き逃せない一戦であります!(ナンノコッチャ)。
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尚、このときの演奏会では指揮者の佐渡裕さんが急病になり、代わって金聖響が指揮台にあがり、見事な演奏で山下洋輔作曲『ピアノ・コンチェルト第1番』の初演を大成功させました。その後、佐渡さんとは大阪でこの曲を演奏し、つい最近(11月20日)佐渡裕指揮RIA交響楽団で、トリノでイタリア初演をも成功させた、とのことです。行けへんかったのが涙じゃあああ・・・。おまけに指揮者もピアニストも、ユベントスとフィオレンティーナの試合まで見たというやないけえ・・・。クヤシイ。 |