コラム「音楽編」
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掲載日2008-09-24
この原稿は、今年の9月27、28日の両日、国立劇場で行われた和太鼓のコンサート『人智千響』のパンフレットに書いたものです。林英哲さんのプロデュースされたこのコンサートは、じつに素晴らしいもので、大感激した余韻に押されて(少々手直しをしたうえで)“蔵出し”します。

「身体の音楽」――太鼓打ち・林英哲さんに関する断想

★じつは林英哲さんと筆者は同い年で…などということは本来ならばどうでもいいことなのだが「昭和27(1952)年生まれ」と書けば「ほほう。そうか」と少なくとも同世代の方はここに改めて書くことを納得してくださるに違いない。「団塊」と呼ばれて何かにつけて目立ち大暴れした世代がすぐ「目の上」に存在した。だから圧倒的多数の「瘤」を少しばかり鬱陶しく思いながらも彼らに釣られてドロップアウトする連中が少なからず出た。英哲さんは「太鼓打ち」という世間の道から少々脇に逸れた仕事に就いた(と筆者は確信している)。小生も(これはマァどうでもいいことだが)大学を中退して「スポーツライター」という過去に肩書きのない職に就いた。

★スポーツライターである筆者は最近「私塾」を開講して教材に英哲さんのコンサートのDVDを使用している。そして塾生に質問を投げる。「これはスポーツか否か?」問われた塾生は困惑する。大きな太鼓と対峙した強烈な肉体の躍動にはオリンピックで見た肉体の運動以上の迫力に充ち満ちている。しかしそこには「競争がない。勝敗がない。だからスポーツではない」と主張する塾生が必ず出現する。それに対しては「登山は?」と訊くだけで十分である。塾生はさらに困惑して苦し紛れに「音楽は文化系。スポーツは体育系」などと言い出す輩が出る。「スポーツも文化であり音楽も身体表現の一種である」と言うと塾生はまたまた困惑する。

★もちろん正解はない。スポーツも表現の一種であり芸術芸能表現もスポーツ的であることに気づいてくれればいいだけのことである。ボストン・マラソンを完走したあとに太鼓を叩いたこともある英哲さんは音楽表現だけでなくスポーツ論の拡張にも貢献してくれたのである。

★太鼓とスポーツにはよく似たところがある。ドンドンドンドンと打ち鳴らす響きは兵士を鼓舞する軍楽として使用された過去を持つ。スポーツも洋の東西を問わず強い兵士を鍛錬する手段として利用されたことがある。さらにスポーツは国威発揚や不満が溜まった社会の不満のガス抜きとして為政者に利用された過去もある(これは多くの国家で現在も続いている)。だから今でこそオリンピックやワールドカップで日の丸を振り応援することがナチュラルな行為として認知されるようになっているが筆者よりも上の世代の人々には忌避されたこともあった。これは想像でしかないが締め込みひとつで太鼓を打ち鳴らす英哲さんも最初のうちは多くの人に忌避されるとまでは言わないまでも「これは何じゃ?」と訝られたに違いない。

★そもそも太鼓の音とは「何」なのか? それはリズムなのか? メロディなのか? はたまた「音楽」と言えるのか? 英哲さんの打ち鳴らす和太鼓はティンパニや小太鼓といった西洋音楽のドラム類とまったく異なる楽器であることだけは理解できる。バッハやモーツァルトやベートーヴェンやチャイコフスキーを聴いた爽快感とはまったく異なる精神的にも物理的にも臓腑にまで到達する轟きに圧倒される。アート・ブレーキーやマックス・ローチのドラムを聴いたときの興奮ともまったく異なる感興が腹の底から湧き出してくる。魂を揺すぶられたり魂の在処を実感するというのならクラシックでもジャズでも経験する。ならばこの波動から受ける身体と心の共鳴はいったい何なのか? 

★あまりにも単純な質問を英哲さんに問うたことがある。「和太鼓というのはもちろん日本独自の太鼓ですよね?」すると英哲さんはその質問の深意まで見抜いた回答を返してくれた。「ええ。和太鼓は日本の楽器です。でも締め込みひとつであんな大きな太鼓を叩くという技は日本の過去の伝統には存在しなかったんですよ。ほかにも僕のやってることは日本の伝統的なものじゃないですね」

★和太鼓によって日本人としての魂が…などという浅薄な考えに傾斜しかかったことを恥じるほかなかった。そんな考えはオリンピックで繰り広げられる身体の見事な躍動を「国別メダル獲得数」などという数字に置き換えて語る愚と同じだ。

★もっとも英哲さん独特の太鼓の技がアメリカやヨーロッパからも生まれることはありえない。中国や朝鮮半島や東南アジアの島々から生まれることも考えられない。やはりそれは極東の細長い弓状の島国の長い過去の文化のなかから押し出された技であり響きであるといえよう。そして地球上に暮らすすべての人々の魂を鷲掴みにする音楽と言えるだろう。

★かつて「スポーツ・ブーム」という言葉があった。1964年の東京オリンピックの頃に野球や相撲を見る人が増えテニスやゴルフをやる人も増えてスポーツが大流行したときのことだ。しかしそのとき以上に世界中でスポーツが騒がれるようになった今では誰も「ブーム」と言わなくなった。オリンピックやワールドカップはモーツァルトやベートーヴェン以上に多くの人々に知られるようになりビートルズやマドンナやマイケル・ジャクソン以上の人気を獲得している。その理由は明らかだ。スポーツは身体文化だからである。地球上の人類の誰もが有している身体を用いた運動であり表現であるからだ。

★もちろん音楽も身体がなければ表現不可能なパフォーマンスである。しかし洋の東西を問わず発せられる空気の波が身体以上に重視される。そこへ英哲さんは身体を持ち込んだ。彼のパフォーマンスのみならず彼の叩く太鼓の響きも身体そのものである。身体を体感させる波動である。そのようなパフォーマンスと空気の波動にとって「心技体」を要する和太鼓ほど適した楽器はほかにあるまい。

★漱石は『こころ』という小説を書いたが『からだ』は書かなかった。ヘミングウェイの『老人と海』を読み直せばよくわかるがこのハードボイルド・スポーツ小説は「こころ」の苦悩以上に「からだ」の痛みや疲れや「身体の苦悩」にあふれている。日本人が「こころとからだ」と言う言葉を英語圏の人々は「Body & Soul」と「Body」を先に表現する。それだけ英語圏の人々は古代ギリシアのオリンポスの祭典以来の「Body-Conscious」な文化を有しているのだろう。過去の日本人は「Body」のことは「力士」にまかせてしまったのかもしれない。

★冒頭に書いたことだが英哲さんは(そして筆者も)昭和27年生まれである。いまの世の中では(とりわけテレビ・メディアでは)「アンチ・エイジング」などという阿呆な言葉が蔓延している。顔の皺を伸ばすことが「アンチ・エイジング」ならば「不死」は困難にしても「不老」の妙薬をつくるくらい簡単なことだろう。

★人間の身体とはそういうものではあるまい。ではどういうものなのか? それは英哲さんの太鼓の波動に身をまかせればわかる。その轟きに、あるいは繊細な響きに、自らの身体を委ねれば(耳を澄ませば)わかる。身体が共鳴すれば「こころ」の在処もわかる。コンサートのたびにそんな波動を生み出し続けてくれる林英哲さんに私は感謝するほかない。

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