ギャハハハハハハハハハ……。
2012年7月6日。山下洋輔とスペシャルビッグバンドが、ムソルグスキーの『展覧会の絵』を演奏し終えた瞬間、私はサントリーホールの客席でノケゾリ返って呵々大笑した。
これが笑わずにいられようか!
彼らの音楽が描き出した「絵」は『キエフの大門』ではなかった。いや『キエフの大門』も出現した。ビッグバンドの面々は、強烈にダイナミックなサウンドで、ムソルグスキーが音楽で描いた「絵」も再現した。が、途中から音楽は、揺れて曲がって捻れてぶっ飛んで大暴走。そして別の新たな巨大な門が……『ドバラダ門』が出現したのだ!山下洋輔の“大傑作ジャズ小説”のタイトルにもなった刑務所の大門が!
そう思えた瞬間、私はノケゾリ大笑しながら拍手を贈り、同時に心の中で自問していた。これは……ナンだ?! このスゴイ音楽は……いったいナニなんだ?!
音楽事典的解説によれば、ジャズとはヨーロッパで生まれたクラシック音楽とアフリカで生まれたリズム(ビート)がアメリカで出逢って生まれた音楽……らしい。そこからいろいろな発展の道を歩んだのだろうが、ジャズの基本は「クラシック(正)+アフリカン・ビート(反)=ジャズ(合)」といえそうだ。
ところが近年の山下洋輔は、バッハやショパンを演奏したCDをリリースしたり、ピアノ協奏曲を創ってクラシックの指揮者やオーケストラと共演したり、オペラ歌手とオペレッタを演奏したり……。おまけ彼のオリジナル・ソロアルバムなどは、現代音楽(コンテンポラリー)と呼ばれるクラシックのジャンルに近いように思えたりもする。
そこで、ジャズっていったい何なんですかねえ?……という疑問を、何度かさりげなく洋輔さんに直接ぶつけたことがあった。その回答は、毎回同じだった。
「ジャズマンが演奏するとジャズなんですよ」
同語反復(トートロジー)のようにも響くが、山下洋輔がクラシック・ピアニストのスタニスラフ・ブーニンと競演したとき、私は、この言葉に納得した。
ブーニンは頑張って肘打ちも加えて「ジャズもどき」の演奏を披露した。「ジャズもどき」が悪いというのではない。おでんのがんもどきが美味であるように「ジャズもどき」もナカナカの味わいだった。が、それがジャズでないことも確かだった。なぜならブーニンは自分のことをジャズマンだと思っていないからで、彼が自分をジャズマンだと思っていないことは、少々恥じらいながらの彼の「ジャズもどき」の演奏を聴けばわかった(と、これまたトートロジーではあるのだが)。
だったら「ジャズマン」とは何なのか? どんなミュージシャンのことなのか? もちろんそれは、自分をジャズマンだと思ってるミュージシャンのことだが、先に書いた「クラシック(正)+アフリカンビート(反)=ジャズ(合)」に則れば、両者が出逢ってジャズが生まれたとはいえ、ジャズを演奏するジャズマンがクラシック音楽というテーゼ(正)の側ではなく、アフリカンビートというクラシックから見ればアンチ・テーゼ(反)の側に属する人種であることは疑いのないところだ。
つまり、自分はジャズマンだと思っているミュージシャンたちがクラシック音楽を演奏すると「クラシック(正)+ジャズ(反)=メタ・ジャズ(合)」という高次元のジャズを生み出すことになるのだ!
なるほどサントリー・ホールで小生が呵々大笑大興奮したのは、そういうワケだったのか……と自分なりの弁証法的屁理屈で納得しながらこのライヴCDを改めて聴き直すと……スゴイですねえ、この演奏は!
冒頭の『プロムナード』と題された有名なテーマでは、聴く者が、ありゃりゃ……と驚いてしまうほど、ブラスの面々が心細げな音を響かせる。まるで、展覧会など行きたくない……と駄々をこねる悪ガキたちのように(ジャズメンのクラシックに対する反抗?)。
ところが続く『グノームス(小人)』が始まった途端ジャズメンは……
(大変申し訳ありませんが、ここから先は、CDをお買い求めの上で、お読みいただくよう、お願い申し上げます。ホンマに凄い演奏の連続ですよ。) |