8年前、不惑を過ぎて心に決めたことがあった。それは、「昔はよかった」「最近の若い者は…」という二つの言葉を、書かない、口にしない、使わない、ということである。
古代ギリシアの石版にも書かれていた言葉らしいが、十代二十代のときに、それほど無意味で聞き苦しい言葉はないと感じたから、そういう大人にはなるまい、と決心したのだ。
その決心のおかげかどうかはわからないが、茶髪もガングロも援交も、頭から全面否定することなく、冷静に観察できていると思う(ま、彼らや彼女らを、心の底ではバカはバカだなぁ…と思ってますけどね)。
最近はデフレと不景気で、高度成長時代の「昔はよかった」という声をよく聞く。が、思い出せば、そうでもない。
町の小さな電器屋を営んでいた親父は、口を開くたびに「不景気や」という言葉ばかり口にしていたように記憶している。
が、それでも額に汗して仕事に励んでいた。いまの我々ほどには贅沢や遊びをしていなかった。そんな時代を「よかった」と懐かしむのは失礼だろう。
とはいえ、どうしても「昔はよかった」といいたくなるときもある。それは、たとえば、フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、ワルター、ムラヴィンスキーといった大指揮者が活躍していた時代のCDを聴くときである。
最近もニコライ・ゴロワノフという指揮者がボリショイ歌劇場管弦楽団を指揮した『シェエラザード』を聴いたが、見事に熱のこもった個性的な演奏に驚嘆した。
いや、そんなに古くなくてもいい。41歳のレナード・バーンスタインがNYフィルを率いてモスクワへ行ったときのライヴ(ブラームスの交響曲第一番ほか)のCDも、ブッタマゲルほどの迫力に満ちた演奏だった。
アバド、ムーティ、小澤、シャイー等々、カラヤンからこっちは、どこかノッペラボウの演奏になってしまった。指揮者だけは「昔がよかった」と断言したい。若い指揮者は過去の個性あふれる演奏を手本にしてほしいものだ。 |