《嫉妬する人は理由があるから嫉妬するのではない。嫉妬深い性格だから嫉妬するのだ》
これはシェイクスピアの『オセロー』に出てくる台詞だが、私は自分が「嫉妬深い性格」だとは全然思っていない。
だから、どんなに幸運な人と出逢っても、また、どんなに美人の奥さんを連れた男性に出逢おうと、別に羨ましいと思うこともない。
が、しかし――。
私は、西宮市民の方々や、その近隣にお住まいの方々には、どうしても激しい嫉妬心を抱いてしまうのだ。
そのことを、改めて強く感じたのは、昨年度のPACオーケストラ定期演奏会の初日。佐渡裕さんの指揮するブルックナーの交響曲第9番を聴くため、芸術文化センターの客席に座ったときのことだった。
演奏はなかなか面白いものだった。ブルックナーならではの豊かな大音量の音の洪水も素晴らしかったが、その巨大なサウンドを必死になって響かせている若いオーケストラのメンバーの姿に感動した。指揮者の佐渡さんは両腕も全身を大きく動かし、若いメンバーたちからたっぷり音を引き出そうとしていた。
2階席の中央3列目に座った私は、思わず身を乗り出して、ガンバレ、ガンバレと、心の中で呟いた。そのとき、斜め前方に座ってる総白髪の小柄な女性の姿が目に入った。彼女もまた座席の背もたれから背中を離し、ガンバレ、ガンバレと、まるで自分の子供たちに声援を送るかのように、前のめりになって音楽に没頭していた。
さらに私の周囲には、そんなふうにオーケストラを応援しながら音楽を聴いているように見える聴衆が何人もいた。そしてブルックナーの交響曲が終わると大拍手。誰もが笑顔で温かい拍手を送り続けた。
これは、嫉妬をするなと言われても無理な光景だ。
関東に住んでいる私は、年に1〜2回PACのコンサートに足を運べるだけ。しかし西宮市や、その近隣に住んでる方々は、この素晴らしい指揮者と素晴らしいオーケストラの演奏会に何度でも気軽に通うことができるのだ。
いや、それ以上に、この愛すべきオーケストラの若者たちと共に、生きてゆくことができるのだ。これは、音楽ファンなら誰もが強烈に嫉妬してしまう環境と言うほかない。
おまけに今年度(2017〜18)のシーズンも、PACから離れて暮らしている者にとっては身も心も嫉妬のカタマリになってしまいそうな演目揃いだ。
まずはオープニングのメシアン『トゥーランガリラ交響曲』。この20世紀現代音楽の大曲を、半世紀近く前に小澤征爾さんがトロント交響楽団を指揮した30pLPレコードで初めて聴いたときのショックは今も忘れられない。
荒々しく野蛮に響き渡る金管楽器の叫び、ねじれた空間に放り出されるような不安な音、そうかと思えば、奇妙に懐かしい安らぎと癒やし……。
「トォーランガ(時、時間、天候、自然、季節…)リラ(神々の遊戯、演奏、作用、愛、恋…)」というサンスクリット語の複雑多義に及ぶ意味合いを、そのまま音楽にした(音楽でなければ表現できない!)作品を、気軽にナマで聴くことのできる皆さんには、やはり嫉妬せざるを得ない。
それだけではない。客演指揮の指揮者の方々が選んだプログラムが、またメチャメチャ斬新で意欲的な内容なのだ。
キース・ロックハート氏の指揮するオール・アメリカン・プログラム(ガーシュイン『ラプソディ・イン・ブルー』『パリのアメリカ人』コープランド『交響曲第3番』)、下野竜也さん指揮のオール・ブリティッシュ・プログラム(マクミラン『ブリタニア!』メンデルスゾーン『交響曲スコットランド』他)、巨匠ヘスス・ロペス・コボス氏指揮のオール・ラテン・プログラム(レスピーギ『ローマの噴水』『ローマの祭』他)、井上道義さん指揮の新旧ドイツ音楽の共演(ベートーヴェン『ヴァイオリン協奏曲』とヒンデミット『交響曲画家マチス』他)、ロッセン・ミラノフ氏のオール・ロシアン・プログラム(ラフマニノフ『ピアノ協奏曲第2番』ストラヴィンスキー『ペトルーシュカ』他)などなど……。
近所からひょいと気軽にコンサートやお芝居に訪れる客のことを、興行用語では「つっかけの客」と呼ぶらしい。そんな「サンダルをつっかけて」出かけるくらいの気分で、ガーシュウィンやメンデルスゾーンやヒンデミットやベートーヴェンやストラヴィンスキーと出逢えることができるというのは、もう最高の贅沢と言えるだろう。
そんな西宮近辺に暮らす人々のことを思って、嫉妬心ばかり募らせるのもツマラナイから、新幹線に乗ることにするか……。 |