コラム「音楽編」
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掲載日2009-11-11
この原稿は1992年10月に発売された8枚組CD豪華保存版『マリオ・デル・モナコ全集』のライナーノートの「マリオ・デル・モナコと私」という企画コーナーに寄稿したものです。小生の文章のタイトルは『マリオ・デル・モナコは長嶋茂雄である』です。懐かしい!他に岡村喬生氏、小林利之氏、妹尾河童氏、岩城裕之氏といった名前が並んでいる(故・岩城氏の文章は、1982年11月の『週刊朝日』連載「棒ふり旅がらす」からの転載)。ひょいとCDを聴こうと思って引っ張り出したら、アッ、こんなところにも書いてたんや!というわけで、“蔵出し”します。

マリオ・デル・モナコは長嶋茂雄である

 私は「昔はよかった」式のベクトルを過去に向けた年長者の言葉が大嫌いで、オペラも、最近の歌手の力量(声量)が落ちたという声を耳にしても、昨今の過激な演出やそれに応える歌手の演技力、それに絶妙のアンサンブルなどを優秀な録音のCDやLDや生の舞台で味わっていれば、特に「昔のほうが……」という意見にはノスタルジー以外の理由を見つけ出すことができなかった。

 テノール歌手もレパートリーによって、パヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラス、コロ、アライサ、シコフらが存在していることで、特に不満を感じることはなかった。もちろんデル・モナコ、ディ・ステファノ、ベルゴンツィ、コレルリ、ヴィントガッセン、ヴンダーリヒなどの歌声もレコードで愛聴していたが、現代テクノロジーのおかげで様々な個性を味わうことの出来る喜びは感じても、「パヴァロッティやドミンゴが20年早く生まれていたら、脇役しかやれなかった」などという思い入れたっぷりの老翁の個人的意見などには、断じて首肯することができなかった。

 ところが、いつのことだったか、女優の富士真奈美さんとテレビ出演で御一緒したとき、CMの最中のオペラ談議で次のような言葉を囁かれ、愕然とさせられた。

 あ〜ら、あなた、デル・モナコの舞台を観ずにオペラを語るのは、長嶋さんのプレイを観ずにプロ野球を語るようなものよ……」

 この言葉がいかに大きな意味を持つかということはプロ野球ファンで長嶋茂雄さんのプレイを観たことのある人なら、誰もが理解していただけるだろう。私は、大慌てでデル・モナコの舞台(来日公演)の収録されたLDを買い、プレイヤーにかけた。そして、雷に打たれたようなショックを感じた。富士真奈美さんの言葉に嘘や誇張はなかった。

 モナコの『オテッロ』や『パリアッチ(道化師)』は、舞台に彼がすっくと立っているだけで絵になっていた。しかも彼は、大きな目を少し動かすだけで演技ができた。そのうえ凛と響く圧倒的に力強い歌声が加わり、私は心を鷲掴みにして引っぱり出され、思わず椅子から身を乗り出すような興奮を味わった。

 彼の演技と歌い方は、「様式」という言い方が当てはまるほどに大仰ではあったが、まさにイタリア・オペラの神髄はこれだ! と叫びたくなるような迫力で聴く者に迫り、彼の力業によって舞台のドラマが豊かに盛りあげられていた。

 私は、テレビ画面に向かって思わず何度も「ブラヴォー!」と叫び、なるほどモナコは長嶋茂雄である、と納得したのだった。

 両者に共通しているものを一言でいうなら、それは「ダンディズム」である。

 モナコも長嶋も、外観と本質という二元論などまったく信じず、ともすれば後者に重きを置くインテリの屁理屈など無視し、オペラとベースボールというそれぞれの舞台の上で、前者の表現の極致を演じた、というわけである。

 それは、必然的に「失敗の多くなる試み」ともいえる。モナコの外見や性質に合わないレパートリーでのズッコケぶりや、長嶋の併殺打やチョンボの多かったことも、同根と言えるだろう。が、それらの失敗をも含めた「ダンディズム」をファンとして愛せるようになったとき、われわれは「昔は良かった」などという陳腐な似而非比較論ではない、「永遠の喜び」を手に入れることができるのである。

 嗚呼、オペラとはなんと素敵なものか! ベースボールとはなんと素晴らしいものか!その単純な真理が、モナコや長嶋のおかげではっきりとわかるのだ。そのことに気づかせてくれた富士真奈美さん、ありがとう。

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