あれは確か4年前(2007年)の年末のこと。新日フィルでベートーヴェンの『第九』を振る予定だった金聖響さんが、リハの初日にぎっくり腰に見舞われた。そのとき聖響さんと、コンサート前のトークを予定していた私は、一瞬目の前が真っ暗になった。
少人数編成でノンヴィブラート奏法のヴァイオリンが対面配置。いわゆる近代のヴィルトゥオーソ・オーケストラとは異なるベートーヴェンの時代の演奏法について、聖響さんに訊く予定が……というより、そんな『第九』の演奏を、三日後に迫った演奏会で急遽代役として指揮できる指揮者がどこにいるのか?
そのとき、どんな幸運が働いたのか知らないが、演奏会当日になって聖響さんの友人でもあるダニエル・ハーディング氏が突如現れた。そしてコンサートが始まるまでの約3時間半、聴衆が客席に座る寸前まで行われたリハーサルは、じつに見事なものだった。
1楽章と2楽章だけで2時間半近く時間を食ったときは、少々気を揉んだが、ハーディング氏は迫る時間など気にもせず、トランペットのスタッカートや弦のピツィカートの一音一音に注文を出し、オケ全体の音の切れ味を磨きあげた。
そして3楽章。何度かの注意と繰り返しのなかで、過剰なロマンチシズムが削ぎ落とされ、クリヤーなサウンドが立ち上がってくると、素朴な瑞々しさのなかにも明確な芯を有する、これぞベートーヴェンと唸りたくなる「音」が形成された。
さらに4楽章は、開場時間をぎりぎりまで遅らせても、通しで一度演奏し、簡単な指示を二言三言、ハーディング氏がオケと合唱に伝えただけで時間切れ。
しかし、そのとき本番の演奏に不安を抱いた関係者は誰もいなかった。ハーディング氏は不満だっただろうが、彼の流れるような指揮棒の動きと、そこから引き出される躍動感あふれる切れ味鋭い「音」を耳にすれば、何の心配もなかった。
実際、一人で話すことになったプレトークも無事にこなすことができ、素晴らしい本番の演奏は万雷の拍手とともに幕を閉じたのだった。
聖響さんにとっては残念で悔しくもあった一日だったろうが、その後ハーディング氏のマーラーやチャイコフスキーに接し、また聖響さんとともに話をする機会も得た私は、それらの素晴らしい演奏や人なつっこい笑顔の向こうに、いつも、あの日の鬼気迫る『第九』を思い出す。
そして、この小さな身体に備わった計り知れない音楽のパワーに、畏怖に近い驚きまで感じるのである。 |