ディミトリ・ティオムキンという人名を知ったのは今から五十年近く前、小学五年頃のことだった。夏休みを目前にして、担任の先生が「休みだからといって夜更かしはせず、夜は九時には寝るようにしましょう」と言ったときのことだ。我々子供たち(というより餓鬼ども)から一斉に関西弁で反発の声があがった。
「土曜日は夜10時から『ローハイド』があるさかい、そんなん無理に決まってるやん」
その声に押されて中年の女性の先生は、「だったら土曜日だけは『ローハイド』が終わればすぐに寝ましょう」と苦笑いしながら方針を変更し、教室は「ワーイ!」と叫ぶ餓鬼どもの歓声に包まれたのだった。
「さあ、行くぞ。シュッパアーツ!」という掛け声とともに、草原を求めながら牛を運ぶカウボーイたちがアメリカ西部の大平原を旅し、若きクリント・イーストウッドが恰好いいガンさばきを見せたTV映画は、それほどの人気があったのだ。
そのTV映画の最後に並んだクレジットに「音楽ディミトリ・ティオムキン」という文字を発見した私は、♪ローレン、ローレン、ローレン……という西部劇にふさわしい音楽の作曲者の名前を記憶に留めた。
しかもその名は高校時代に名画座で見た『真昼の決闘』『OK牧場の決闘』『アラモ』『リオ・ブラボー』にも現れ、さらに深く脳裏に刻まれたうえ、『ナバロンの要塞』や『北京の55日』にもその名が登場し、映画音楽というものを専門につくる作曲家が存在することの面白さに気づかされたのだった。
その後、映画を見るときには監督や俳優と同時に(いやそれ以上に)作曲者にも注目するようになった。ミュージカル『ウェスト・サイド物語』やマーロン・ブランド主演の『波止場』の音楽を作曲したレナード・バーンスタインと、『荒野の七人』『大脱走』などの音楽をつくったエルマー・バーンスタインをゴッチャにして高校時代に恥ずかしい思いをしたこともあったが、『アラビアのロレンス』『史上最大の作戦』『ドクトル・ジバコ』などのモーリス・ジャール、『夕陽のガンマン』『死刑台のメロディ』『ニュー・シネマ・パラダイス』『海の上のピアニスト』などのエンニオ・モリコーネ、『酒とバラの日々』『ムーンリヴァー(ティファニーで朝食を)』『ピンクパンサー』『ひまわり』などのヘンリー・マンシーニなど、映画と一体化した(音楽が映画のすべてを表していると言っても過言ではない)映画音楽の素晴らしさに、次つぎと魅了されたのだった(日本映画でも武満徹や黛敏郎が素晴らしい映画音楽を作っていることに気づかされた)。
なかでもスゴイと思ったのはドニゼッティのオペラ『ランメルモールのルチア』の二重唱をチョイト手直ししただけで主人公(アラン・ドロン)の哀切感と虚無感あふれる地中海での生活を音楽で表現したニーノ・ロータで、ルキーノ・ヴィスコンティの『山猫』やフェデリコ・フェリーニの『ジェルソミーナ(道)』『甘い生活』『81/2』『サテリコン』などでも素晴らしい音楽を作曲した彼は、フランシス・コッポラの『ゴッド・ファーザー』(三部作)で愛と苦悩に満ちた人生の音楽をイタリア人ならではの感性で表した。
そういえば、マンシーニ、モリコーネ、ロータなど、イタリア系の音楽家が少なくないが、もともとイタリアで生まれた『オペラopera』とは『オプスopus=作品』の複数形で、いろんな作品(戯曲、演技、音楽、歌、バレエ、舞台装置、衣裳、道具……)の集合体(作品群)という意味だ。ならば映画もオペラの一種。監督や俳優と同様、映画音楽の作曲者は(オペラの作曲家のように)もっと高く評価されていいだろう。
そして最後に一言。私の一番好きな映画音楽作曲家はジョン・ウィリアムスで、ただの「愛犬物語」(捨て犬を拾ってきた少年が、母親に許されず隠れて育てる物語)の犬を宇宙人に変えただけの物語『E.T.』(スティーヴン・スピルバーグ監督)を見事に迫力ある作品(映画)に仕立てあげたのは彼の音楽の力にほかならない。そして私は、『スター・ウォーズ』『スーパーマン』『インディ・ジョーンズ』『E.T.』を歌い分けられることを心密かに自慢にしているのである。
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