掲載日2004-01-12 |
この原稿は、今年(2004年)1月9、10日に東京オペラシティ・コンサートホール・タケミツメモリアルで上演された『山下洋輔X筒井康隆ジャズ・オペレッタ「フリン伝習録」』(写真参照)で配布されたパンフレットに寄稿したもの(に、少々手を加えたもの)です。 |
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フリンオペラ年表400年史
『オペラの歴史はフリンの歴史』 |
1597年 イタリア・フィレンツェのジョヴァンニ・デ・バルディ伯爵の邸宅で、ギリシア悲劇『ダフネ』を「音楽付き」で上演。作曲はヤコボ・ペーリとジュリオ・カッチーニ。作詞はオッターヴィオ・リヌッチーニ。アポロンの不倫略奪愛を逃れて月桂樹に変身したダフネの物語を、朗読(演劇)ではなく音楽にのせて官能的に歌いあげる形式が大好評を博す。同時期、東洋の島国に出雲の阿国が現れ、歌と踊りのストリップショウ(歌舞伎)を創始。オペラ(音楽劇)の誕生は地球規模のルネサンス(人間性回復)だったのだ。
17〜18世紀 バロック・オペラが大流行。美川憲一か小林幸子かと見紛うばかりの豪華な衣裳をまとったカストラート(去勢歌手)が、ゴンドラに乗って空中から現れ、顔の汗を拭ったハンカチをエルヴィス・プレスリーのように客席に投げ入れ、女性ファンを熱狂させた。この猥雑な見世物にローマ法王庁が激怒。ローマ周辺では「スター歌手オペラ」の上演が禁止され、「合唱オペラ」しか認められなくなる。
1786〜90年 「結婚したい女性は500人」と豪語したモーツァルトが、不倫ドラマ『フィガロの結婚』、女千人斬り乱交劇『ドン・ジョヴァンニ』、恋人交換(スワッピング)物語『コジ・ファン・トゥッテ』(女はみんなそうしたもの)を創作。ローマ法王庁公認のオペラ・セリア(神々や伝説的英雄を扱う正統派悲劇)にかわってオペラ・ブッファ(喜劇)が主流となり、「フリン・ドラマ(男と女の物語)」がオペラのメイン・テーマとなる。
1814年 モーツァルトを「不道徳」と非難したベートーヴェンが、美しい夫婦愛を描いたオペラ『フィデリオ』を完成。ただし、こんな作品は、いまもカタブツのクラシック・ファンにしか人気はない。
1853年 ジュゼッペ・ヴェルディが『椿姫』を発表。「娼婦の乱交の世界」を「愛の世界」にまで高めて人気を博し、のちの宝塚歌劇の基礎となる。
1874年 リヒャルト・ワーグナーが、連続上演すれば14時間という4部作の大楽劇『ニーベルンクの指環』を完成。これほど長大な作品になったのは、神々や英雄ジークフリートを主人公とした一見オペラ・セリア(正統派)に思える筋書きに、三角関係、不倫、乱交、略奪愛、加虐愛(サディズム)、被虐愛(マゾヒズム)、近親相姦・・・等々、人間の愛情表現をすべて入れ込んだため、と考えられる。
1875年 ビゼーの『カルメン』が初演で大悪評。大失敗。可憐な婚約者を捨て、あばずれ女のカルメンを愛し、殺人まで犯すドン・ホセの愛憎物語は、まだ一般大衆には過激すぎて嫌われたのか、あるいは「明日は我が身」とあまりに生々しい筋書きが嫌われたのかもしれない・・・。
1905年 レハールがオペレッタ(軽歌劇/喜歌劇)『メリー・ウィドウ』を発表。「不倫」というオペラのテーマに「未亡人モノ」という新ジャンルを加え、のちに日本のアダルト・ビデオに影響を与えた――というのはウソだが、レハール夫人はユダヤ人だったのに、ヒットラーが『陽気な未亡人(メリー・ウィドウ)』を愛したため、迫害を逃れた――というのはホント。
1911年 リヒャルト・シュトラウスが『ばらの騎士』を発表。男役の女性歌手がベッドの上で貴婦人と抱き合って二重唱したり、その男役の女性が女装をして男をたぶらかす、といった倒錯した内容に対して、のちにヒットラーが上演禁止を命令。原作者のホフマンシュタールがユダヤ人だったことも原因だったが、「倒錯愛オペラ」を愛するオペラ・ファンの支持する声に押され、ホフマンシュタール原作のオペラのなかで、唯一この作品だけが上演禁止命令を解除された。
1928年 ショスタコーヴィチがオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』を発表。人妻が不倫関係の男と全裸でくんずほぐれつしたり、スカートをバックからめくりあげてばっこんばっこんしながら二重唱を歌う、という内容に、スターリンとソビエト共産党道徳委員会が激怒。アメリカ初演でもフィラデルフィア道徳浄化協会が猛抗議。ショスタコーヴィチは改作を余儀なくされる。現在では原典版が再評価され、くんずほぐれつも、ばっこんばっこんも、カットなしボカシなしで上演されるようになった。残念ながら、この作品はビデオ化(DVD化)されていないが、他のオペラでは、全裸の男女やくんずほぐれつがマトモにバッチリ映し出されているビデオが数多く発売されている(最近発売されたDVDでは、ロンドン・コヴェントガーデン歌劇場公演のヴェルディの『リゴレット』が、第1幕の「乱交シーン」で、男性女性とも全裸姿を見せている)。桜田門も、「まさかオペラが・・・」と思っているのだろう。
1935年 ジョージ・ガーシュインが『ポーギーとベス』を発表。この「ジャズ・オペラ」という新しい試みの作品が、不倫満載のオペラの歴史のなかで異彩を放つほどの「純愛モノ」になったのは、クラシック音楽にコンプレックスを抱き続けたガーシュインが、「ジャズでクラシック以上のオペラ作品を」と、肩に力を入れすぎた結果に違いない。
1945年 第二次世界大戦勃発。オペラと歌舞伎に没頭していた日独伊と、オペラよりも植民地支配に熱心だった英米仏の闘いだった、という説を唱える音楽学者もいる。
1957年 レナード・バーンスタインが『ウェスト・サイド・ストーリー』を発表。原作はシェークスピアの『ロミオとジュリエット』。ブロードウェイの大傑作が、これまた「純愛モノ」になったのは、ミュージカルがまだまだオペラほどには成熟していない証拠といえる。劇団四季の公演も「純愛モノ」や「無害お子様向け文部科学省推薦モノ」が多い。
1968年 ロック・ミュージカル『ヘアー』初演。ヘアーを見せれば過激(歌劇?)という単細胞的発想でつくられた失敗作。
2004年 ツツイ・ヨースケのコラボレーションによるジャズ・オペレッタ『フリン伝習録』初演。人間の、じつは誰も知りたくないどろどろの深層心理を危険なジョークであぶり出すツツイ文学と、音楽を美しく破壊し解体するヨースケのフリー・ジャズが、フリンに関しては400年の歴史を有するオペラという土俵でくんずほぐれつ合体した記念碑的作品。そら、もう、フリン400年、いや、オペラ400年の歴史のうえに立ったモノゴッツイ世界が出現するはずでっせぇ。
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