
6月1日(日)
ベッドで小林信彦『現代〈死語〉ノート』読み続ける。評論家の大宅壮一が日本テレビの『なんでもやりまショー』という番組を取り上げ「1億総白痴化」と言ったのは1956(昭和31)年。その番組の『どっきりカメラ』が批判の対象になった。『どっきり…』はアメリカのTV番組のパクリだったとか。今も続く『どっきり…(白痴化?)』の歴史は古いですね。著者は1976(昭和51)年までの〈死語(流行語)〉を取り上げ最後に《書いていて痛感したのは時代がどんどん悪くなっていることである》と書いている。《敗戦後いちおうは「文化国家」を標榜した国が高度経済成長とともに経済発展のみに狂った。東京オリンピックをきっかけとする国土の荒廃は田中角栄の列島改造論後さらにひどくなる。土建業関係の政治家の支配・官僚の底知れぬ腐敗が田中内閣から旧経世会による専横へと25年続くのである。本書はロッキード事件で終わっているが時代の悪化は明らかである》ナルホド。この国は少し立ち止まって過去を見直す(反省する)という作業を行わない国のようですね。ワン。
6月1日(日)つづき
ベッドを出て黒兵衛と散歩。リードは長女が持ってスイスイと足早に進む。俺とヨメハンは遅れ気味。歳取るといつの間にか平均歩行速度が遅くなっていることを実感。負けじと歩くが登り坂はシンドイ。ま。老いとはそんなものか。黒兵衛は薬で元気回復。元気とは現金なものですなぁ。ワン。少し仕事したあと午後から映画。Netflixではまだ『教皇選挙コンコラーベ』をやっていなかったので似た物として『ローマ法王の休日』を見る。サスガはイタリア映画!これが抜群に面白かった。コンクラーベで教皇に選ばれた大司教が「自信がない」と言って就任を拒否。バチカンは大騒動。おまけに秘密のウチに精神科医に診察させたところがソノ新教皇が逃げ出してローマの街を彷徨。ヘップバーンの『ローマの休日』のパロディか。新教皇の精神が安定してサンピエトロ教会のバルコニーから全世界に向けての演説が始まる…メデタシメデタシ…と思ったところが最後の最後に強烈な大どんでん返し!!日曜の午後を素敵な映画で満たされました。仏教(お寺)をパロった映画は沢山あるけどイスラム教でこんな映画を作れるようになるにはマダ600年先のことかな?ムハンマドはイエスよりそれくらい若いですからね。再びチョイ仕事のあと長女は自宅へ帰って晩メシは久し振りに『日曜美術館』を見ながら。鳥取県にできた新しい美術館は行ってみたいですね。続けてウイスキー飲みながらN響の番組。R・シュトラウスのホルン協奏曲も面白かったけどツェムリンスキーとヤナーチェクの『シンフォニエッタ』がサイコーでしたね。後者は村上春樹の『1Q84』の冒頭に異次元にぶっ飛ぶ音楽として出てきますよね。この音楽はフルオケに加えて10人以上のバンダ(金管楽器)が加わりナカナカの迫力でした。あ。『ローマの休日Roman Holiday』には「他人に大迷惑をかける休日」との意味があるのですよね。

6月2日(月)
ベッドで読んだのは本棚の整理で出現した2012年6月刊白水社の白水Uブックス「海外小説の誘惑」シリーズからアメリカのピューリッツァ賞作家であるスティーヴン・ミルハウザーの短編小説『ナイフ投げ師』。なんでこんな本が我が仕事部屋にあるのか不明だがタイトルの面白さで古書店行きを免れて読んだら予想に違わず面白かった。大人気の大道芸人のナイフ投げ師が満員の観客の見ている前でナイフ投げの妙技(モデルの身体の傍をかすめてナイフを投げる技)を披露したあと最後に飛び入りの若い女性の観客を相手に彼女の身体そのものにナイフを投げて突き刺すとうもの。一種のホラーでもあるけれど何の比喩なのかイロイロ考えてしまいますね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。薬のおかげか下痢も治り小雨のなか俺たちより元気な足取り。まぁヨカッタ。ワン。イロイロ準備したあと夕方から『TAMAKIのスポーツジャーナリズム』の録画撮り。《TAMAKIのスポーツライター入門講座》を3回分収録。@スポーツライターの8つの作業(仕事)Aスポーツの様々な疑問に気付くこと(例・ボクシングとじゃどういう意味?など)Bスポーツの「何」を学ぶのか?この3つについて話す。あと6回に分けて喋ることがある(スポーツライター入門講座ができる)ので皆さん御期待下さい。YouTubeのビデオ撮りのあと晩メシは吉本新喜劇を見ながら。新趣向のミニ劇団の大騒動はきっと新しい座付き作家のアイデアかな?面白かったです。

6月3日(火)
朝起きて朝食のあと黒兵衛と散歩して帰宅してテレビをつけると長嶋茂雄さん逝去の報。驚く一方そういう日も来るとは思っていたと胸の内で反芻すると突然TBSから出演依頼の電話。ヨメハンに急いで服を用意させて着替えながら一時代の終わりを頭の中で整理。日本のスポーツ界に多大すぎる永久を与え続けた人物の死はやはり時代の変化をもたらすはずでこれから新しいプロ野球のカタチや新しい日本のスポーツのカタチの模索が始まるのでしょうが逝去直後の番組ではそこまで話すことなどできないはずで長嶋氏関係の資料を鞄に詰め込んでタクシーに飛び乗って久し振りに『ひるおび!』生出演。
6月3日(火)つづき
長嶋茂雄さん逝去で『ひるおび!』では話し忘れたことを書いておきます。長嶋さんが選手たちと一緒に旅行に行ったときのこと。ホテルのチェックインで書類にイロイロ書き込まなければならないとき。長嶋さんが横にいた選手に「ここには何を書くの?」と訊いた。「職業だよ」と答えると長嶋さんはその欄に「長嶋茂雄」と書き入れたという。これが私の一番好きなジョークですと一度野村克也さんに話したところが「それはヨーロッパでホントにあったことだよ」と言われた。ホントかどうかはキチンと確認できてないけど…。
6月3日(火)つづきのつづき
『定本・長嶋茂雄』の文庫本になる前の単行本(ネスコ1989年1月刊)が出来たとき長嶋さんの元へ持参して本が出来上がったのでサインして下さいと言うこと「ハイハイ。イイですよ。ヨカッタですね。おめでとう」と言ってサラサラとサインして下さったあと「アレ?本って普通は著者がサインするのですよね?」と言われてマァそうですけど…と口籠もると「サインして下さいよ」と言われてナント小生が編著者としてサインしてその本を長嶋さんにプレゼントしたのだ。長嶋さんにサインをもらった人は多いだろうけどサインをしてあげた人は多くないはずですよね。エッヘン(笑)。
6月3日(火)つづきのつづき×2
生前の長嶋さんにバッティングの奥義を訊いたことがある。「それはもうトップですねえ。トップ。バットを振り出す寸前のバットを構えたカタチ。そのカタチさえキチンと出来れば後は思い切り鋭くビュッと振ればいいんですね。振った後は蕎麦屋の出前。見御バッターなら左の肩の上にバットを握った左手の手の平が上を向くようにフィニッシュできればいいんですね。基本はそれだけですよ」そう言われたので私は「バットを振る途中はダウンとかレベルとかイロイロあると思うんでsが…」と続けて訊くと「それはわかりませんよ。だってピッチャーがどこへ投げてくるかわからないじゃないですかぁ」ナルホド。長嶋さんの1期目の監督当時喧しかったダウンスイングvsレベルスイング論争もこれで氷解したと確信しましたね。
6月3日(火)つづきのつづき×3
「長嶋さんはワンバウンドするような低い投球や大根斬りで打つような高いボール球も打ってヒットにされましたね」というと。「ええ。ええ。私がストライクだと思ったらストライクですからね。それっ!ストライクだっ!と思えた球は何でも打ちました。それが技術というものじゃないでしょうか。ど真ん中の球は誰でも打てますからね」
6月3日(火)つづきのつづき×4
久し振りにTBS『ひるおび!』に呼ばれて久し振りに槇原さんに会ったので「完全試合したときは試合の途中で長嶋監督に何か言われた?」と訊くと槇原さんは笑顔で「7回が終わってマウンドから降りてくるときに監督と眼が合ったんですよ。するとサアーッと目を横に逸らされた」と言った。私も笑った。「長嶋さんらしいね」「ええ。繊細ですからね」
6月3日(火)つづきのつづき×5
「長嶋さんはサインの見落としが多かったとか…」「そんなことないですよ。そもそも僕にはサインなんか出なかったですからね。でもV9時代の我々はチームプレイを旗印にしていましたからね。それが上手くいかないときなどは私がサインを見落としたことにされて叱られました。それはモウ私もわかってますから。ハイハイ。私が叱られてチームに示しがつくならどうぞ叱って下さいと心のなかで思ってましたよ」
6月3日(火)つづきのつづき×6
長嶋茂雄さんが亡くなったことで彼の現役選手時代の活躍や監督時代の想い出が語られている。が現役時代はともかく監督時代(特に1期目)の評判は最悪だった。その口火を切ったのは筑紫哲也さんがフリーになってTBS『ニュース23』をやり始める前に朝日新聞記者(外報部デスク)として登場したテレビ朝日で始めた番組『こちらデスク』という番組。ゲストに野球評論家として大御所の水原茂元巨人監督が登場し「長嶋は野球を知らない」と発言。それがキッカケとなって長嶋監督批判が続出。川上哲治前監督を慕う巨人OB(川上派)による長嶋下ろしキャンペーンが『文藝春秋』誌上などで次々と始まり終に長嶋監督解任&藤田新監督王助監督牧野ヘッドの三頭体制が始まった。その瞬間から長嶋前監督に同情が集まり長嶋ラヴコールが始まった。小生が始めて長嶋さんにロングインタヴューしたのもその3年後。メジャー視察中の長嶋さんをモントリオールのホテルで捕まえて雑誌『GORO』の取材を申し込んだら快く受けて下さったのだった。
6月3日(火)つづきのつづき×7
野村克也氏は現役捕手時代「ささやき」で有名だった。バッターにイロイロささやいて集中力をそがせたのだ。オールスター戦の時の王選手にもその作戦が通じたのか野村捕手で打席に立った王選手は打率1割以下。ホームラン0だった。が長嶋さんには「ささやき戦術」が全く通じず打席に立った長嶋さんに野村捕手が囁きかけるとオナラをブブーッと返されたという。生前の野村氏自身から聞いた話です。

6月4日(水)
朝ベッドから起きて黒兵衛との散歩は後回し。RKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。今日のテーマはもちろん長嶋茂雄さんの話。ホームスチール挑戦6回(成功2回)やランニングホーマー通算3本(+日本シリーズでも1本)…などいろいろオモシロイ記録を紹介した後1968年9月18日の阪神巨人戦でバッキー投手が王選手にビーンボールを2度投げて両チーム大乱闘。バッキー投手と巨人荒川コーチが退場になったあと甲子園球場に「王も退場!」の声が響くなか阪神のリリーフ投手が王選手の頭部直撃のデッドボール!王選手が倒れて立ち上がれず担架で運ばれて退場になったあと次打者長嶋が鮮やかに見事なホームラン!!コレが小生がテレビで見た長嶋選手の最も超人的な一瞬でした。聞いてみたい方はこちらへ→https://www.youtube.com/watch?v=IMvTWZ6ajtY
6月4日(水)つづき
長嶋さんで思い出すことがまだあった。阪神の上田二朗投手が9回2死までノーヒットノーラン。ところが最後の打者が長嶋に鮮やかに三遊を抜くレフト前ヒットを打たれてしまう。マウンド上で悔しがる上田二朗投手に向かって長嶋さんが一塁ベースを二三歩離れて手を振って慰めた。そのときテレビを見ていた私は阪神の選手の誰かが早くボールを一塁に投げろ!と思った。絶対にアウトに出来たはずなのに何故投げなかったんだろう?と今も思ってる。昭和48年7月1日。甲子園球場でのナイターでの出来事。結果は4-0で阪神が勝った試合での出来事だった。
6月4日(水)つづきのつづき
長嶋さんのことは次から次とイロイロ思い出される。インタヴューのときにライヴァルの王さんについてお伺いしたいのですか…と切り出すと「王(ワン)ちゃんはライヴァルじゃないですよ」と言われた。「だって対決しないじゃないですか。ライヴァルと言えばやはり金田さんとか村山さんとか平松君などの直接対決するピッチャーのことを言うんじゃないでしょうか」ナルホドと思うほかなかったですね。
6月4日(水)つづきのつづき×2
長嶋茂雄さんが始めて巨人の監督を解任されたあとイロイロゆっくりと過ごされたことは自著にも書かれているがそのなかにヨーロッパを旅行されオーストリアのウィーンの国立歌劇場でオペラを見られたことも書いておられる。そのときの演目はナント!!リヒャルト・シュトラウスの『エレクトラ』!!スゴイ楽劇(ムジーク・ドラマ)を御覧になられたのですね。ブラーヴォ!
6月4日(水)つづきのつづき×3
文藝春秋の『NUMBER』で何度か何度かロング・インタヴューしたことがある。そのうちの1度が紀尾井町近辺の料亭だった。すると和室にはった途端長嶋さんが「ここは一度来たことがありますねえ」と言われた。「囲碁の試合を見せてもらったんですよ。本因坊戦だったかな…リン何とかという人が…」「林海峰さん?」「そうそうそうそう。リンさん。リンさん。勝負されるところを見たいと思ってお願いしたんですよ。凄い殺気でした」何でも見ておられますね。
6月4日(水)つづきのつづき×4
RKB毎日のラジオ出演のあと午後からいろいろ電話取材を受けてデスクワークはネットで連載をしている『スラッガー』編集部から長嶋茂雄さんの追悼原稿を書いてほしいと依頼があったので2000年の日本シリーズON決戦の直前インタヴューで長嶋さんから「今はそんな事を言うときじゃねえだろ!!」と猛烈な怒鳴り声と般若のような形相で一喝されたことを書く。取材記者(ジャーナリスト)として相手に怒鳴られるような質問をするのは当然で(自慢じゃないが小生は王貞治さんにも記者会見で怒鳴られたことがある)長嶋さんも「それじゃあ質問を変えますが…」と言って質問を続けると「ね。ね。日本シリーズの話をしましょうね」とガラリと笑顔に変わってインタヴューを続けて受けて下さったのはサスガだった。そのときに怒鳴られた質問内容は清原和博に続いて広島の4番打者の江藤智やダイエーホークスのエース工藤公康までFAで獲得し「何でもほしがる長嶋さん」と批判されそんな選手集めを推進するナベツネさんこと渡邊恒雄オナーのやり方は「江川事件」以来の「巨人の横暴」と批判されても仕方なのでは?というものだった。その詳しい内容は近々『スラッガー』に原稿がアップされるのでそちらを御覧下さい。
6月4日(水)つづきのつづき×5
長嶋茂雄さんのことで一番興味深い話を披露されたのは生前の青田昇さんだった。1990年の4月だったと記憶しているがロバート・ホワイティングの『和をもって日本となす』(角川書店)が出版されて評判になったとき。テレビ東京の夜のスポーツ番組(番組名は忘れた)に著者(ホワイティング)と翻訳者(小生)が招かれ本の内容についていろいろ訊かれたときに突然青田さんが現役時代の「じゃじゃ馬」の異名通りベランメイ口調で話し出されたのは1980年秋に長嶋茂雄巨人監督が突如解任されたことの(青田さんなりの)「真相」だった。「シゲは巨人というチームを読売から独立させようと考えたんだ。だから読売に斬られたんだよ」その瞬間私もホワイティング氏も唖然として言葉も出なかった。少々派手な言動で有名な人物の言葉とは言え長嶋監督が最期に打撃コーチに招いた人物(週刊誌の賭博発言で短期間で辞任したが)で長嶋監督に最も近いとも言える人物の生放送オンエア中の発言だ。その後誰も(私も)問題にしなかったが…ホンマやろか?今もテレ東には録画が残っていないかなあ?

6月5日(木)
長嶋茂雄さんへの私なりの追悼文(2項目前を参照)が『スラッガー』のネット上に公開されました。タイトルは『日本野球史上最も素晴らしいベースボール・プレーヤーに聞き逃したこと』です。御一読ください。 https://thedigestweb.com/baseball/detail/id=97532
こちらにもでています。 https://news.yahoo.co.jp/articles/6319359d39e5c0a3c936dbcfd853ccb8ffcee2ed
6月5日(木)つづき
文藝春秋の雑誌『NUMBER』の表紙になった巨人関係者を数えたら長嶋茂雄さんが19回。次いで松井秀喜10回。桑田真澄9回。江川卓8回。王貞治&原辰徳5回。清原和博3回。定岡正二&中畑清2回。その他1回が10人。巨人90周年記念号に載っていた表紙を小生が数えたもので正確ではないかもしれませんが長嶋さんがダントツであることは確かです。ただ1980年代には43回あった巨人選手の表紙が90年代には10回。2000年代には12回。2010年代には6回と激減してますね。
6月5日(木)つづきのつづき
長嶋茂雄さんのことで誰も触れないのが現役選手時代の松井秀喜選手にアメリカ大リーグへ行かないでくれ!という原稿を書いたことですね。それは何故か朝日新聞紙上の出来事でした。だから(読売紙上でなかったから)ホンのジョークで済んだのでしょうか?その新聞は切り抜いて残しておいたのですが何処を探しても見つからない。ホントに消えてしまったのかな?ミッション・インポッシブルのように(笑)
6月5日(木)つづきのつづき×2
1999年10月5日の巨人vsヤクルト戦。松井がホームラン王争いをしていたペタジーニの3打席目に巨人ベンチはマウンド上の上原投手に敬遠の指示。2打席ペタジーニを抑えていた上原は抗議の意味を込めたように全力のスピードボールを4球で投げたあとマウンド上の土を蹴り上げて悔し涙を流した。松井選手もヤクルト投手陣から敬遠攻めを喰らっていたうえベントの指示が長嶋監督直接の指示だったかどうかはわからない。が新人時代の長嶋茂雄が阪神の田宮と首位打者争いをしていたとき田宮選手が(打率を落とさないため?)試合を休んだのに対して「こんなに面白いタイトル争いで試合を休むのは不思議」と発言していたくらいなら巨人ベンチ(コーチ)にも上原にもペタジーニと勝負しろとと命じるほうが「ナガシマシゲオ的」ではありましたね。長嶋さんが「オトナ」になり始めたのはこの頃からかな?

6月6日(金)
長嶋茂雄さんについて最も肝心なことと思えることをまだ書いていなかった。小生は2009年から立教大学大学院の非常勤講師を確か2016年頃まで務めており2010年からは立教大学の授業も担当させられた。全てゼミの集中講義形式だったので3〜10人の少人数の学生相手に楽しく和気藹々と夏休みの3日間くらいを過ごしたのだったが2014年に1年間だけ50人くらいのクラスの立教大学1年生の前期授業を担当させられた。講義内容はいつもと同じスポーツジャーナリズムの話だったがそこで長嶋茂雄さんにインタヴューしたときの話をしたところが反応が悪い。不思議に思っていたら最前列の学生が言った。「ナガシマシゲオって誰ですか?」驚いて全員に「長嶋を知ってる人?」と訊いてみたら一人も手を挙げない。「ミスタープロ野球だよ!君たちの大先輩だよ!ホントに知らないの?」と訊くと一人の男性が「最近の国民栄誉賞で松井選手の横にいた人のことですか?」と反対に訊かれた。この時は強烈なショックのまま長嶋茂雄がどんな人だったかを話して授業を終えたが…立教の学生がその程度なら…若い人にとっての長嶋茂雄は既に忘れられたのか…?と思うほかなかった。
6月6日(金)つづき
そー言えば江川卓投手が巨人に入って長嶋監督が伊東で秋季キャンプが行われたとき近所の幼稚園の子供たちが大勢で見学にやって来て大きな黄色い声を揃えて「バンホーテンのおじさーん!」と叫んでいた。そのときはグラウンドにいた選手も記者も長嶋さんも苦笑いするほかなかったが…それから35年を経て立教大学の学生まで「長嶋を知らない」と言うようになったのですね。嗚呼。
6月6日(金)つづきのつづき
長嶋茂雄さん関係の書籍で最も面白いのはもちろん小生編著の『定本・長嶋茂雄』(宣伝失礼。しかしホントにそう思ってます)だが岩川隆氏の『キミは長島を見たか』(集英社文庫1982年10月刊)も子供(佐倉)時代の様子や最初に巨人監督を解任されときの逸話など面白さ満載です。佐倉中学の卒業時に友人に宛てた長嶋の長文の手紙の全文が掲載されておりソレを読めるだけでも価値のある一冊です。それと長嶋さんの現役引退時に報知新聞から発行された『栄光の足跡−報知新聞にみる長嶋茂雄』全五巻は第1巻「雄飛はばたく」の昭和28年「佐倉に長島あり(本紙初記事)」から第5巻「熱闘のうた」の昭和49年「背番号3涙の引退あいさつ」までの長嶋の出ている紙面の縮刷版を纏めたもので小生の宝です。この頃は長嶋でなく長島だったのですね。あ。あと宇佐美徹也さん編著『ON記録の世界』(読売新聞社1983年刊)も素晴らしい長嶋本ですね。

6月7日(土)
ここのところは長島茂雄さんのことばかり書いていたが夜と朝のベッドでの読書は欠かしてません。古書店に売るために整理していた本棚の奥から出てきた短編小説を売らずに読んでいたのだがコレがキョーレツに面白い。こんな面白い本を何故持っていたのかわからない。たぶん小生は志賀直哉の『范の犯罪』という短編(ナイフ投げの大道芸人の話)が大好きでだから書店でタイトルを見て衝動的に買ったのだろうけど読まずに放っておいたのが出てきたのだろう。それはスティーヴン・ミルハウザー著『ナイフ投げ師』。ナイフ投げの名人に身体すれすれの場所にナイフを投げられて皮膚に少し傷を付けられ血を流して喜ぶ観客の話。ところが最後にグサリと…となったのはマジックだったのか?他にも不倫を責められた男の『出口』子供が喜んで乗り回す『空飛ぶ絨毯』若い娘たちが夜中に集まる『夜の姉妹団』など。どれもキョーレツだったが『新自動人形劇場』は最高!!人間にそっくりの動きをする絡繰り人形作りの名人が長期休暇のあと新作の人形を発表するのだがソレは人には似ておらず人形独自の動きで人形として生きる主張をするというもの。凄い!!著者のミルハウザーはピューリッツァー賞もとったアメリカの作家(1943−)らしい。こんなスゴイ作家がいることを知らなかった。訳者の柴田元彦氏が書いている。《ミルハウザーを好きになることは吸血鬼に噛まれることに似ていていったんその魔法に感染してしまったら健康を取り戻すことは不可能に近い》小生は嬉しいことに吸血鬼に噛まれたようだ。
6月7日(土)つづき
長嶋茂雄さんのことでまだ書いてないことを書いておく。現役選手を引退するときの最後の試合で長嶋さんは有名な「わが巨人軍は永久に不滅です」という言葉を含む挨拶を残したがその文章を書いたのは元報知新聞記者で作家の新宮(瀬古)正春氏だった。ただし元の原稿は「永遠に不滅」だったらしく翌10月15日(火)付の報知新聞に掲載された「新生巨人を誓う 力強く長島あいさつ」と題されて全文も「永遠に不滅」と書かれていた(今手元にある縮刷版でもそうなっている)。「永久」は現実的。「永遠」は抽象的。だとすると長島さんには原文通り読んでほしかったと小生は思いますね。
6月7日(土)つづきのつづき
この日は仕事はおやすみ。昼間いろいろプロ野球の交流戦を見て夕方NHKの科学ドキュメンタリー『フロンティア蘭奢待(らんじゃたい)天下無双の香りの謎』を見る。正倉院の秘宝の香木の謎の科学的解明。凄く面白かった。その後晩飯食いながら録画していたTBS『報道特集』で韓国大統領選のFAKE YouTubeの話題を見て『ブラタモリ』で三軒茶屋を見たあとBS日テレで長嶋茂雄の最後の試合を見る。何だか野球は間延びしていたが巨人の相手中日の監督代行を務めた近藤貞雄さんに「アノ試合の監督は俺だったんだよ」と聞いたことがある。優勝した中日与那嶺監督は日本シリーズの準備で名古屋に留まりヘッドコーチの近藤さんに采配を任せたのだ。ソレを近藤さんが自慢していたのは可愛かった。彼はダブルヘッダーの第1試合で長嶋にホームランを打たれた投手を「よくやった!」と褒めたらしい。この試合の録画の最後「我が巨人軍は永久に不滅です」と長嶋さんはやはり「間違えて」いた。「永遠」はありえないから長嶋さんがワザと「永久」に変えたかな?

6月8日(日)
ベッドで朝うつらうつらしているときに気付いた。そして何故もっと早く気付かなかったのだろう?と少し不思議に思った。長嶋茂雄さんは「昭和100年戦後80年」の区切りの年に亡くなったのだ。それがすべてですね。これで「昭和」も「戦後」も完全に過去のものになったわけですね。皆さん!昭和や戦後のノスタルジーは何も生み出さないから新時代のことを考えましょう。
6月8日(日)つづき
ベッドでスティーヴン・ミルハウザーの短編を読み続ける。『月の光』も『気球旅行1870年』もメッチャ面白かった。が『協会の夢』にはそのタイトルの凡庸さとは裏腹に脳天を叩き割られるようなショックを受けた。古くなった百貨店が建て直されて新装開店しただけの話なのだがそこではスフィンクスや旧石器時代の洞窟やスコットランドの古城から電気鉛筆削りやコカコーラの瓶詰め工場まで《何を買うことも可能》で客の頭には《腕時計と古代ローマの屋敷との間にどれほどの違いがあるのだろうか?》という疑問が湧いてくるのだ。百貨店という《20世紀の遺物》に究極の資本主義的断末魔を押し込んだ新しい百貨店に入った客は全ての《品物》に目を眩ませられ《出口を探して忙しく永遠に歩き続けることを運命づけられているのだ》。こんなスゴイ小説は始めて読みました。
6月8日(日)つづきのつづき
長嶋茂雄さん逝去で少々バタバタしてしまった1週間の最後に仕事部屋にある長嶋さん関係の資料や本を整理。明日月曜のYouTube「TAMAKIのスポーツジャーナリズム」でスポーツライターの小林信也さんと対談するための資料などを整理。夜は『ダーウィンが来た!』でチーター親子を見ながら晩メシのあとNHKスペシャル『長嶋特番』見る。昭和は遠くなりにけり…と書いても昔「明治は遠くなりにけり」という言葉が昭和に流行った時期があったことはモウ知らない人が多いでしょうね。
6月8日(日)つづきのつづき×2
長嶋茂雄さんの喪主三奈さんの言葉で最も注目したのは松井秀喜さんと「巨人の監督をやるやる」と「やるやる詐欺」を長嶋茂雄さんに言い続ける約束をしたことですね。そしたら長嶋さんにいいる力が湧くから…と。それは「詐欺」だったのか…?昭和100年の後も「昭和レジーム」(読売巨人中心のプロ野球)が続けられるものかどうかわかりませんからね…?

6月9日(月)
ベッドでミルハウザーの短編を読み続ける。歳取って(50歳過ぎて)からこんなに興奮できる小説に出逢ったのはアラン・ライトマンの『アインシュタインの夢』(早川epi文庫)以来かな。世界は広い。まだまだ知らないことは多い。ということですね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。梅雨はまだかな。紫陽花が梅雨を待ってるように咲いている。ワン。夕方からの『TAMAKIのスポーツジャーナリズム/追悼・長嶋茂雄さん昭和100年に逝去』の準備をしていたら何故か報知新聞の縮刷版『栄光の足跡全5巻』の第2巻が本棚に2冊もあった。理由不明。長嶋さんの周辺では不思議なことが起こるのか?夕方から小林信也さんをゲストに迎えてYouTubeの録画撮り3本。長嶋茂雄とは「どんな選手だったか?」「どんな人だったか?」「何だったか?」をテーマに語り合う。内容は近々アップされますから是非見てください。いろいろ社会批評的なことも話したのですが長嶋さんのことを話すのはとにかく楽しいですね。そう言えば草野進(蓮實重彦)さんが球場で「ナガシマアー」と叫ぶと気分良く心が解放されたと書いてたけどホントにそうですね。小林さんが何故長嶋さんを国葬にしなかったのか?と言ったけどナルホド日本では政治家ばかりが国葬ですけどイタリアではパヴァロッティも国葬でしたからね。何だか読売巨人葬みたいになったのは残念でしたね。YouTube収録後吉本新喜劇みながら晩メシ。今日の芝居はイヨネスコのナンセンス劇みたいな趣もありメッチャ面白かった。

6月10日(火)
S・ミルハウザー短編集12編約300頁のうち最も長い47頁の『パラダイス・パーク』を読了。遊園地作りのエキスパートが一般大衆に大人気の遊園地を次々と造る(創る)なかで徐々に究極の快楽を求めるサイコーの遊園地を創る方向(不幸?)に突き進む。ソレは《現代の遊園地にとっての四本柱たる乗り物(ジェットコースター等)異国風の見世物(城のレプリカ等)スペクタクル(海賊の大暴れや宇宙旅行等)カーニバル流の演し物(パレード等)が全てあっさり放棄され全く新しい領域の娯楽が変わって据えられた》。それは「心中の崖」であり「自殺コースター」であり「快楽の縦穴」「恍惚のトンネル」「血の館」「エロスの館」「この世ならぬ歓喜の旅」…等で「悪魔の遊園地」と呼ばれるようになり批評家たちは《芸術的かもしれないが遊園地として楽しいか?》と批判した。そして最後に創られた究極この遊園地は強烈な◎●×▼△■◇…で最後のカタルシスがどうなったかは書きませんが最初はディズニーランド批判か?と思って読んでいたけどそのうち現代音楽批判であり現代演劇批判であり現代絵画批判でも現代社会批判であると思えるとにかく凄い小説でした。《ある種の快楽はその本質上どんどん極端な形を追求してゆくものであってやがてはついに滅亡の暗い恍惚に行き着くほかないのではないか》ナルホド。現代のあらゆるエンタメ・スポーツetcも…嗚呼。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。紫陽花にはやはり雨が似合いますね。ワン。終日パソコンの整理や雑務。昼間NHK-BSで『パットン大戦車軍団』をやっていた。これはジョージ・C・スコットの名演もありますけど凄い映画ですね。アイゼンハワーやマッカーサーの映画とは比べものにならないくらいの名作です。やはり最高のスーパースターはトリックスターなんですね。スコットは生身のドン・キホーテを見事に演じてますね。長嶋さんもトリックスターでしたね。晩メシはサッカー日本vsオランダ…じゃなかったインドネシア戦を見ながら。日本はイイ若手選手がドンドン育ってますねえ。ブラーヴォ!

6月11日(水)
ベッドでの読書スティーヴン・ミルハウザー『カスパー・ハウザーは語る』『私たちの町の地下室の下』を読み終えて短編集『ナイフ投げ師』の12作読了。滅茶苦茶面白くまだ理解し切れてない部分もあるのですぐに最初から読み直したい気分。まぁ読みたい本の途切れたときに読み直しましょう。久し振りに出逢った凄い作家でした。アメリカにはケッタイナな作家がケッコウいますね。あ。ケッタイナとは関西弁でスゴイという意味です。英語で言うとモンストラスmonstrousかな。ワン。黒兵衛との散歩は後回し。RKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。今日のテーマはまず長嶋茂雄さんの告別式が国葬級でなく読売巨人葬であったことを残念がる。国葬と言えば日本では政治家ばかりだがイギリスではアイザック・ニュートンも国葬。フランスでは最近シャルル・アズナブールが国葬。ルチアーノ・パヴァロッティは正式にはイタリアの国葬にならなかったらしいが生まれ故郷のモデナに大勢の人が集まり伊首相も出席。大統領がコメントを出しイタリア空軍のジェット戦闘機がイタリア国旗の三色を空に描いて飛びましたね。長嶋さんの告別式も読売巨人関係者だけでなくせめてコミッショナーくらいは出るべきでしたねと話したあと白鵬が相撲界を離れた話。相撲を世界に!五輪に!という主張は古い話ですけどエスニック・スポーツの域を出ないところが相撲の良さでは?という話をしたあと黒兵衛と散歩。イロイロ仕事したあと晩メシは映画『コラテラル』を見ながら。トム・クルーズが悪役の主役でロサンゼルスの映像が美しく面白い会話に特徴…との評価なので見てみましたが単なるハリウッド映画でした。コラテラルという言葉はギリシア語か何かと思って調べたらcol-lateralだったのですね。ナルホドFBIやギャングの騒動に巻き込まれるタクシードライバーの単なるアメリカ映画でした。

6月12日(木)
ベッドで岩川隆『キミは長島を見たか』(集英社文庫1982年刊)を読み直す。一期目の長嶋監督が解任された時の事情が作家の眼で詳しく書かれていて興味深い。解任の噂が高まるなかで《オーナーがちゃんとしてくれるはずだ。……長島の思いはそういうものだったろう。だがそれは純真な長島茂雄の大錯覚であった。結果的に言えばミスターが正力亨オーナーと結びついたときに組織から弾き飛ばされる没落が始まっていたのである》読売興行などいろんな仕事に手を付けた正力オーナーだったが《どうも上手くいかない。「読売巨人軍を与えられた。ところがこれも上手くいかない」とはっきり漏らす幹部もいた》《川上監督の黄金時代にはオーナーでありながら巨人軍に口出しできなかった。だからこそ上手くいった(略)ところが長島監督になってから正力オーナーは「ドーンと出て来られた」(略)ミスター長島茂雄もこれまでとは異なった野球をやりたいのだという夢がある。どうしても川上監督よりも正力オーナーと結びつく心情になる》《今回の長島解任劇はつまるところ読売グループという組織の本能的な"正力亨オーナー封じ込め作戦”でありその痛い副産物が"長島クビ"という結果であったろうと思う》ナルホド。そしてその後凄まじい長嶋ラヴコールと長嶋フィーヴァーが起こり正力亨オーナーの死去(2011年)やJリーグの誕生(2013年)とサッカー人気の急上昇もあって読売グループの"総大将"になった渡邊恒雄氏が長島監督復帰と巨人軍終身名誉監督の地位を与えて長嶋茂雄さんの囲い込みとともにジャイアンツ人気の復活を謀った…というわけですね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。
6月12日(木)つづき
梅雨だけど南関東はあまり雨が降らず黒兵衛との散歩も雨上がりの涼しさのなかで気持ち良く歩けた。明日から猛烈な暑さとか。寒暖差に気をつけなければ。ワン。雑誌『ZAITEN』の連載でもやはり長嶋茂雄さんのことを書かねばならないと思うので『キミは長島茂雄を見たか』を読み続ける。この本には中学卒業時の長嶋さんの友人に宛てた手紙が全文《原文のママ》で引用されてますがナカナカ見事です《如何なる艱難にあっても屈する事なくいかなる悲しみに逢っても希望の光を見失う事なく何時も微笑して心ひろびろと貴君の周囲を清く明るくお互いに行きませう》この頃から長嶋さんは強烈なプラス思考だったんですね。
6月12日(木)つづきのつづき
午後になって文春『Number』の編集者からメール。長嶋茂雄追悼号をムックで出版するので小生が長嶋さんにインタヴューした原稿3本を再収録したいとの連絡。コレは嬉しいことで早速承諾の返信をする。『定本・長島茂雄』に改訂収録した『僕はアウトロー的なプレイヤーだった』(198年5月)だけでなくその後に行った『長島茂雄スーパートーク個人プレーのススメ』(1989年9月)も『長嶋茂雄&王貞治・日本プロ野球よ大志を抱け』(1995年1月)も我ながらメッチャ面白いインタヴュー原稿になったと自負していたので長島さんの逝去されたあとどこかで発表してくれないかな…と思っていたのを『Number』別冊で…とは嬉しい限りです。長嶋さんはJリーグの地域密着のことなども話してますがたとえばこんな言葉もあります。《ファンにアピールする面がもっとほしい。最近の選手は真面目すぎる》《四球で喜んでいる打者がいるなら間違いだと言いたい》《水商売系のいい女性のすべすべとした肌を抱いてその快楽の味がカンフル剤としてプレーに生きるというのはありますよね》《勝負師の男はいい女性に育てられるという面もあるでしょう》ブラーヴォ!でしょう?!晩メシは交流戦を見ながら。長嶋さんの言葉に触れ直すと野球が面白く見えますね。しっかし少々間延びして試合時間が長いですなぁ(>_<)

6月13日(金)
ベッドで週刊文春の長嶋追悼関係記事読む。小生が長嶋さんへのインタヴューで巨人がFAで他球団の4番打者やエースを引き抜く渡邊恒雄氏読売のやり方を批判して「今そんな話をするときじゃねえだろ!」と長嶋さんが激怒されたのは亜希子夫人の「読売の操り人形でいないで」という言葉が彼の心の底にあったからだったのかな?ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。関東地方も梅雨入りしたけど南関東は晴れの日が多いですね。ワン。デスクワークとして岩川隆『キミは長島を見たか』(集英社文庫)を読む。これは最高の長嶋本ですね。巨人の第一期監督をクビになったところまでしか書かれていないけどその後の経緯を知れば岩川さんは長嶋をどう評価したかな?晩メシは交流試合を見ながら。いま何故プロ野球もメジャーも投高打低の世界になったのかな?そのほうが面白いですけどね。

6月14日(土)
ベッドで岩川隆『キミは長島を見たか』(集英社文庫)再読了。立教大時代の長嶋さんがエース杉浦とともに先輩で南海入りした大沢親分から毎年食費(援助金)を貰って南海入りを約束していたことは有名な話だが結局長嶋は巨人入り。しかし裏切られた大沢親分はこう言っている。「彼はやはり巨人に入って良かった。南海では今の長島はなかったろう。プロ野球全体から見ても結果的には良かった」確かにそうかもしれない。がソレは"昭和レジーム"と言える。つまり"アンシャンレジーム(過去の体制)"だ。ソレは今や完全に幕を下ろしたのだ。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。雨はまだ降ってこない。雨の似合う紫陽花が雨を乞うように色付いている。ワン。雨の降らないうちに庭木の処理に少々励んだが昼前からポツポツと大粒の雨が降り出した。午後は明日原稿を書く『ZAITEN』の連載のためにプロ野球の"昭和アンシャンレジーム"を考え直す。それは読売長島巨人中心のプロ野球という旧体制のことなのだがソレなら新体制はどんなものになるのか?"プロ野球→メジャー"という構造が確立するのか…?夕方からTBS『報道特集』を見る。屋久杉はスゴイですね。私は京都の旧名家で屋久杉で造られた能舞台をみたことがあります。屋久杉も昔は沢山切り出されたのですね。過去の"旧体制"の間違いは改めなければ。晩メシは土砂降りのなかの湘南vs町田のJリーグを見ながら。湘南が試合終了直前に町田に追加点を奪われて敗戦。ベルマーレも湘南乃海も似てるのかな?

6月15日(日)
ベッドでの読書は1986年作品社より刊行された『日本の名随筆45「狂」』。中村真一郎・編でメッチャ面白い。種村季弘『血液嗜好症ヘマトフィリア』稲垣足穂『狂気か死にまで行くべし』武田泰淳『狂った妻』戸板康二『狂女』どれも面白かったが坂口安吾『麻薬・自殺・宗教』はサイコー。ヒロポンや睡眠薬の使い方からアルコール中毒症の実例まで作家の実名を挙げて紹介。純愛スポーツ小説『オリンポスの果実』の作家でロス五輪のボートの出場者でもある田中栄光が《道を歩きながらウィスキーをラッパ飲みするのが日常の習慣》で《一日に三四本のウィスキーを楽々カラにして他にビールも日本酒も飲む胃袋》の持ち主で早く酔うために《睡眠薬を肴にポリポリ囓る》ほどのアル中だったとは驚きだった。他にドストエフスキーは《奥さんのスカートの裾に縋って賭博癖は止めると誓う地獄絵巻を繰り返した》ほどのギャンブラーだったというのも知らなんだ。プロコフィエフがオペラにもしたドストエフスキーの小説『賭博者』を読み直したいですね。あ。ドストエフスキーの賭博の記述は稲垣足穂でした。ワン。雨が小止みになるときを狙って合羽を羽織って黒兵衛と散歩。梅雨の雨を嘆いてはイケマセンね。乾燥よりは余程マシ。ボリビアで湿度5パーセントの夜を経験したときは口の中で舌が上顎にくっついて離れなかったですからね。ワン。日曜でも仕事は『ZAITEN』の連載『今月のスポーツ批評』95回を執筆。やはり長嶋茂雄さんの追悼文を書く。ふうー。書きあげて晩メシに向かうとヨメハンに顔が赤いと言われた。原稿に力を込めるとそーなるもんです。ニュース見ながら晩メシのあとマリオ・デル・モナコ主演のオペラ『道化師』をDVDで見る。40年近く前にTVで御一緒した富士真奈美さんに「デル・モナコの舞台は知らない」と言うと「それは長嶋さんを知らずに野球を語るようなのよ」と言われて慌ててLDを買って見てその凄さに仰天したことを憶えてる。長嶋の凄さを伝えるのはデル・モナコより難しいですね。

6月16日(月)
ベッドでの読書は昨晩に続いて『日本の名随筆「狂」』。金子光晴『変装狂』島尾敏雄『妻への祈り』伊藤整『ノーマン・メイラー妻を刺す』。メイラーほどの大作家がこれほどの狂気(神経症)の持ち主だとは知らなんだですね。いや大作家だからこそそーだったのか?メイラーが好んで引用するアンドレ・ジイドの言葉があったそうでそれは「あんまり早く私を理解するな」だったとのこと。納得。ワン。雨がやんだあと黒兵衛と散歩。梅雨の中休みは湿度が高くて鬱陶しいですね。昨日に続いて乾燥よりはマシだと考えることにしましょう。ワン。イロイロ準備して夕方から『TAMAKIのスポーツジャーナリズム』ビデオ収録。今日の収録番組は『スポーツライター入門講座』の第4回『スポーツをみる!どこをどーみる?何をみる?』第5回『スポーツをきく!インタヴューの仕方』第6回『スポーツを想像する』=プロ野球選手がホームランを打った瞬間の手や腕や身体がどうなるか想像するわけですね。そしてF1のマシンが走ってるときのガソリンタンクの様子やパイロットの胃袋の揺れなども想像しよう!…。というような話を収録。今はスポーツライターの小林信也さんとの追悼・長嶋茂雄さんがアップされてますがスポーツライター入門講座も順次アップされますのでよろしく。晩メシは吉本新喜劇を楽しくTVKで見ながら。吉本新喜劇は今次々と斬新な試みに挑戦してますね。オモシロイ!

6月17日(火)
『日本の名随筆』の「狂」をベッドで読み進む。横溝正史『私の乗物恐怖症』埴谷雄高『無停止型おしゃべり症』メッチャ面白い。『死霊』を書いたスゴイ作家埴谷のエッセイは何時もぶっ飛んでいてココでも《全世界忘却の果ての全身酒樽風酔っ払い状態で人を傷つける暴言を放つ自分》の後悔の弁が唱えられてる。被害に遭ったのは大岡昇平・秋山駿・大江健三郎・中野孝次らで《老人性痴呆症特有の同じ言葉の絶えざるリフレイン数時間続いた》と自分で書いているところがスゴイ。拙著『9回裏2死満塁 素晴らしき日本野球』(新潮文庫)にも埴谷氏の『テツガク的一塁手の回想』と言うメッチャ宇宙的にブッ飛んだ野球論を収録してるので是非御一読を。朝7時にベッドから出て早くもギラギラ太陽の猛暑の洗礼。黒兵衛と少し散歩してシャワーを浴びてイロイロ準備して東海道線で品川へ。改札でスポーツライターの小崎仁久さんと待ち合わせて(株)フォーラムエイトの本社へ。小生は何度も来ているが小崎さんは初めてだったので自動車や自転車やレースカーなどのシミュレーターを見学していると社長のIさんと副社長のTさんが現れて我々と打ち合わせ。途中からランチ・ミーティングになってイタリア料理を食べながらワインも少々。いろんな話題を楽しく喋るなかで「TAMAKIのスポーツジャーナリズム」への資金援助を快く引き受けていただいて我々は万々歳。これでスタッフや出演者に無償のヴォランティアで協力してもらっていたのが少しは謝礼をお支払いできることになりました…というわけでさらに頑張りましょー。帰宅後『ZAITEN』連載の校正などをやっつけて大谷のピッチングをビデオで見て明日のラジオの準備をしてベッドへ。

6月18日(水)
ベッドのなかで『週刊新潮』6月19日号を読んでると片山杜秀氏の連載エッセイ「夏裘冬扇」に面白い指摘があった。かつて(昭和の時代)には現役のプロ野球のスター選手が自分の名前のママ映画に出ることがよくあったが王貞治さんも稲尾和久さんも《スター選手を本人が演じる!》ことに照れてしまって『喜劇駅前飯店』でも『鉄腕投手稲尾物語』でも上手くいかなかった。が長嶋茂雄さんだけは『ミスター・ジャイアンツ勝利の旗』で見事に「自分」を演じきったという。そりゃそうですよね。長嶋さんはホテルにチェックインするとき職業欄に長嶋茂雄と書いたくらいの人ですからね。常日頃から長嶋茂雄を演じていたのですから映画で長嶋茂雄を演じるくらいへっちゃらだったでしょうね。
6月18日(水)つづき
ベッドで『週刊新潮』のあと『日本の名随筆「狂」』読み進む。北杜夫『精神病の新種について』森茉莉『気違いマリア』中村真一郎『老年』どれも面白い。《人は狂気となるためには全ての外的内的な条件から離脱しなければならない。老年はその離脱を可能とする》小生は世に言う老年の域に入ったが「外的内的条件から離脱」できてないから「狂気」はまだのようだ。ワン。黒兵衛との散歩は後回し。RKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。今日のテーマは大谷翔平の二刀流について。野球選手は基本的に誰もがピッチャーをやりたがるようで長嶋茂雄さんも生まれ変わったら《今度はピッチャーをやりたい》とおっしゃってた。私が「ピッチャーというのはそんなにいいもんですか?」と訊くと《そりゃいいもんですよ(笑)ピッチャーが投げなきゃ試合が始まらないし野手は常に後手。ピッチャーがアクションを起こした次にアクションを起こすわけですよ。だからピッチャーってのはもう自分のやりたい放題に出来るから(笑)オモシロイと思いますね。僕にはエースというのは劇画的なイメージがありましてグイイイイーンと魔球を投げたり目にも止まらぬ快速球でバッターが打てないことはもとよりそれをキャッチしたキャッチャーがドッスーンと尻餅をつくとかね(笑)そんなピッチャーになりたいですね》という長嶋さんの話のあと江夏豊投手の絶妙のコントロールの話などをしてラジオを終えて猛暑のなか汗だくになって黒兵衛と散歩。シャワーのあとデスクワークは書き下ろしの原稿書き。エアコンを入れないと仕事にならないときは仕事をやめるべきかな(笑)。晩メシは交流戦を見ながら。やっとセ・リーグが勝ったけどそんなことより中東情勢のほうが心配ですね。

6月19日(木)
『日本の名随筆「狂」』ベッドで読み進む。中原中也『狂氣の手紙』渡辺一夫『狂気について』中村光夫『狂気の変質』加藤周一『狂気のなかの正気または「リヤ王」の事』福永武彦『ネルヴァルの狂気』花田清輝『錯乱の論理』…どれも読んでるとこっちに狂気が移るかと思えるほどオモシロイ。《私は昔から文学が一つの狂気であることを毫も疑ったことがない(福永)》しかし最近は「狂気の文学」が消えたようにも…いや俺が読んでないだけかな?河崎秋子『ともぐい』(新潮社)の狂気は良かったですけどね。
6月19日(木)つづき
デスクワーク書き下ろしの合間に来週月曜収録の「TAMAKIのスポーツジャーナリズム」のゲストをサッカージャーナリストの大住良之さんと後藤健生さんのに決定。「日本のサッカーは何故こんなに強くなったのか?」というテーマで「Jリーグの役割」「海外組の効果」「W杯優勝の可能性は?」の3度に渡って語り合っていただきます。乞う御期待!!晩メシはファイターズ北山投手の完全試合とノーヒットノーランを見ながら。どちらも果たせなかったけど速球に力のある投手のピッチングはテレビでも見応えがありましたね。そのあと酒呑みながら録画しておいたNHK-BSの海外ドキュメンタリー『ハルマゲドンを待ち望んで』を見る。アメリカの共和党トランプ大統領を支持するキリスト教福音派という宗教団体は…実に困ったモノですね…嗚呼。

6月20日(金)
ベッドで『日本の名随筆「狂」』読み続ける。西垣脩『風狂の先達ー増賀聖人について』石川淳『狂歌百鬼夜狂』なだいなだ『自分はクルッテイル』どれも面白い。狂歌の奥深さを求めない深さはシブイですね。《執着の心や娑婆に残るらむ吉野の桜更科の月》マイッタ。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。冗談でなく朝から気が狂う程の熱さ。しかしなだいなださんによると《クルッているほうがマシということも少なくない》そうで《クルッテイルことを治すことが苦痛を和らげることに繋がらない場合もある》という。《アル中であることが苦痛とは言えない》わけでその治療は《周囲の人の生活の平和を取り戻すため》。そのことをアル中患者に納得してもらう必要がありその納得が得られればアル中患者は更生できるらしい。ナルホド。自分勝手はイケナイわけですね。ネタニヤフは何に中毒してるのかな?ワン。夜《チコちゃん》を見ながら晩メシ食ってるとサッカージャーナリストの後藤健生さん登場。サッカー日本代表のユニフォームが青なのは東大のカラーという正解を喋っていた。そー言えば日本サッカー協会の歴代会長は今も東大出身者(4名)が一番多いはず。後藤さん!明後日の「TAMAKIのスポーツジャーナリズム」ではそんな話はしませんので(笑)よろしく!

6月21日(土)
昨日のTBS『報道特集』は見る価値の高い素晴らしい番組でした。まだ続く森友学園公文書改竄問題の闇は独裁化した自民党安倍政権下で起きた民主主義社会の恥ずべき事件と言えますね。今も口を噤む関係者は何を怖れて何を守ろうとしているのでしょうね?それと第二次大戦時の終戦時から終戦後も続いた沖縄久米島でのスパイと呼ばれた住民の日本軍による虐殺事件。戦争と軍隊と権力というものの恐ろしい本質が露わになった事件として語り継がれるべき事件ですね。自民党関係者の戦時の沖縄を侮蔑する発言はもっと糾弾されるべきですね。テレビ局はタレントによるニュースモドキのショー番組を半減させてこのような真面目な報道番組を増やすべきですね。
6月21日(土)つづき
『日本の名随筆45「狂」』(作品社)は井上光晴『狂気みなぎる現代ー病者の裸の視線』加賀乙彦『文明の狂気』を読み切って読了。ヴェトナム戦争のソンミ事件を取り上げ《どんなアメリカ人もソンミ事件を起こし得る》のでありそれは《中国に於ける日本軍。フランスやチェコやスペインに於けるドイツ軍。アルジェリアに於けるフランス軍などと同価》なのですね。《戦争=狂気》という単純な真理が広く知れ渡らないと…ワン。ベッドを出て猛暑激暑のなか黒兵衛と散歩。暑さくらい戦争に較べれば狂気とは言えませんね。ワン。散歩のあとシャワーを浴びてヨメハンと一緒に久し振りに掛かり医の病院へ。特に異常はナシで薬をもらってスーパーへ。庭の手入れを自分で…と思って高枝鋏を買ったのだがコレが失敗。両手で挟んで切る鋏が伸びるのを買ったのだが腕が疲れる。チクショー。ミスった(>_<)晩メシはフロンターレとヴィッセルの試合を見ながら。レベルの高い攻防だったけど1-2でホームの川崎が残念ながら敗戦。それはいいけど国分某も鉄腕ナントカもTOKIOも何も知らない人間にとってはコンプライアンス違反だか何だかサッパリわからない。こんな発表で再発が防止できるのでしょうかねえ?

6月22日(日)
ベッドのなかでの読書は野坂昭如・編『日本の名随筆8「死」』(作品社)。野坂昭如『死について』横尾忠則『生まれ変り死に変る』室生犀星『あとさき』…と読むが正直言ってあまり面白くない。「嘘」や「狂」を読んだときの迫力を感じない。嘘や狂は具体的な話だが「死」は観念上の話にしかならないからかな?野垂れ死ににしろ輪廻転生にしろ浄土にしろ南無阿弥陀仏の話。現世の嘘八百や狂乱とは土俵が違うのだろう。ワン。糞暑い激暑のなかを黒兵衛と散歩。糞ッと思いながら汗かいて歩いている限り熱中症にはかからない気がする。ワン。しかし日射病という病気は無くなったのかな?終日デスクワークは書き下ろしボチボチ。始めてエアコンを使う。午後から台所と風呂場の脱衣所の壁掛け扇風機を外して掃除。梅雨過ぎて夏来にけらし扇風機オマエの出番と囁きかける。オソマツ。しかし風は気持ちいい。北風と太陽の立場が逆転したことをアイソポス(イソップ)に教えねば。昼間NHK-BSで岡本喜八監督『激動の昭和史沖縄決戦』をやってたので見てしまう。何度見てもスゴイ映画です。イイ映画です。新藤兼人氏の脚本が秀逸。『軍閥』や『日本のいちばん長い日』など8月に向けて日本の秀逸な戦争映画を見直しましょう…と思ったらアメリカがイランを空爆。戦争より金儲けのはずのトランプもユダヤの宗教には従うのか?いや戦争のほうが儲かると判断したのか?よくわからない現実でわかるのは多くの人が死ぬことだけ。

6月23日(月)
前日の前言撤回。『日本の名随筆「死」』メッチャ面白い。瀬戸内晴美『死に様』花田清輝『犬死礼賛』なだいなだ『変な死に方』藤枝静男『妻の遺骨』斎藤茂太『私の死論は夫が先に死ぬ』堀田善衛『旅と死と』松田道雄『老人と自殺』桑原武夫『展墓』中野重治『葬式と香典返し』野上弥生子『芥川さんに死を勧めた話』…ドレもコレも「死」にまつわる具体的な話に圧倒された。今まで辞世の句は十返舎一九の《この世をばいざおさらばに線香の煙とともに灰サヨウナラ》が一番と思っていたが八世市川團蔵が84歳まで生きて歌舞伎座で引退興行のあと瀬戸内航路の汽船から身を投げたときの辞世の句もイイですね《長生きは損じゃ月々いやなこと見聞く憂世は飽きてしまった》大田蜀山人のもナカナカ。《昨日まで他人(ひと)の事かと思ひしが俺が死ぬのかこれはたまらん》しかし…人が次々と死んでゆくシベリア抑留のことを書いた石原吉郎『確認されない死のなかで』にはまいりました。ジェノサイド(大量殺戮)の恐ろしさは《一人一人の死が無いこと。死に於いてただ数であること》こそ《絶望そのもの》なんですね。アイヒマンは《百人の死は悲劇だが百万人の死は統計だ》と言ったらしい。沖縄も広島も長崎も「統計」で終わらせない努力をされていることを知るべきですね。ワン。ベッドを出て梅雨の晴れ間とは断じて言えない真夏の太陽の下黒兵衛と散歩。雨乞いをすれば豪雨になりそうで異常気象ではそれも出来ないですね。ワン。
6月23日(月)つづき
夕方から「TAMAKIのスポーツジャーナリズム」録画撮り。サッカージャーナリストの大住良之さんと後藤健生さんをゲストに迎えて『日本のサッカーは何故こんなに強くなったのか?』というテーマで『Jリーグの果たした役割』『海外組の働きと未来のあり方』『日本のW杯優勝は?』という3本立ての番組で話していただく。近々アップされますので是非見てほしいですが話の内容がJリーグに始まってW杯で終わる…と思っていたところがJリールで始まってJリーグで終わったところが素晴らしかったです。是非ご覧下さい。録画収録のあとテレビ神奈川で吉本新喜劇を見ながら晩メシ。チョイとヨハン・シュトラウスのオペレッタ『こうもり』の内容を盗んだと思えるところが見事でしたね。『映像の世紀』は録画して『日本の名随筆「死」』を読み続けるためベッドへ。

6月24日(火)
ベッドで『日本の名随筆「死」』読み続ける。死期の迫るのを実感する正岡子規が自分は土葬がいいか火葬か水葬かそれとも姥婆捨山行きか木乃伊化か…と考える『死後』と題したエッセイも凄いが《私は死刑に処せらるべく今東京監獄の一室に拘禁せられて居る》で始まる幸徳秋水の『死生』と題した随筆も凄い!過去に石川五右衛門や国定忠治からソクラテス・吉田松陰…等々数多刑死に処せられた人物の名前を挙げ《死刑は果して刑罰として当を得たる者なりや。能く其効果を奏せりや》と書く。しかし《私は必ずしも強いて死を急ぐ者ではない。左りとて又苟(いやし)く生を貪(むさぼ)らんとする心もない。病死と横死と刑死とを問わず死すべきの時一たび来らば十分の安心と満足とを以て之に就きたいと思う》この16ページに渡る文章は『死刑の前』と題した連作の第1章として書かれたものらしい。第2章以下は未完。完成するまで刑の執行を待ってほしかったですね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。北に梅雨前線。南に颱風2号。なのに南関東は真夏の太陽と熱帯並みの蒸し暑さ。笑う他ないですね。ワン。終日デスクワークはネットの『スラッガー』に「ベースボール今昔物語第14回」として「追悼・長嶋茂雄さん第2弾」を書く。テレビの長嶋さん追悼番組が軒並み低視聴率だったとかで長嶋茂雄という人物像を改めて書いてほしいとの編集部からの要望に応える。そう言えば俺が立教大の教壇に立った10数年前も1年生のクラス50人余の全員が長嶋を「知らない」と言いましたからね。嗚呼。降る雨や昭和は遠くなりにけり。晩メシはマリーンズvsジャイアンツを見ながら。マリーンズの押さえの中森投手はイイですね。あ。フロンターレの高井は500万ポンド(約10億円)でトットナム移籍か。凄い!

6月25日(水)
『日本の名随筆「死」』は芥川龍之介『或旧友へ送る記』。ナルホド。ここにハッキリと自殺の動機が書いてある。《将来に対する唯ぼんやりした不安》だと。ハッキリと書かれているがハッキリしない。ここで文章に(笑)と入れたいが人が死ぬのだからやっぱり失礼だろう。文章は続いて死に方の選択になり「縊死」「溺死」「轢死」「ピストル」「ナイフ」「飛び降り」「薬死」を考え「美的嫌悪」「苦痛の強弱」「蘇生の可能性」を考えた結果「薬死」を選ぶ。そして「旧友」に対して《この手紙は僕の死後にも何年かは公表せずに措いてくれ》と頼む。《僕は或病死のように自殺しないとも限らないのである》文学者の自殺とはウルサイものですね。ワン。
6月25日(水)つづき
黒兵衛との散歩は後回し。RKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。今日のテーマは柔道東京五輪金メダリストのウルフ・アロンのプロレス転向について。レスリングが「動物がじゃれ合う」という意味から発生したスポーツ(だから相手の着衣を掴んではいけない)と言うことを説明したあと柔道は「勝負」でプロレスは「表現」といったウルフの言葉を分析。なかな素晴らしい分析だと思うけど「勝負」の中の「表現」に至らなかったのはちょっと残念かな。ワン。黒兵衛と雨中の散歩。しかし南関東は熱帯低気圧でもあまり降らないですね。たの地域では大雨だというのに…ナンデヤネン?ワン。
6月25日(水)つづきのつづき
NHK-BSでやっていたドン・シーゲル監督『マンハッタン無宿』見てしまう。クリント・イーストウッドでも若いときはクダラン映画にも出ていたんだなぁと納得できるだけ見た価値があったかな?文春から『Number PLUS 長嶋茂雄不滅の勇姿。The Hero 1936-2025 Eternal Sunshina』届く。長嶋茂雄さんの追悼本ですね。B4判オールカラー210ページ。大きくてずっしり重く長嶋にちなんだのか3030円。小生の長嶋さんへの面白いインタヴューが3本も選ばれてます。売れるかな?読者層はかなり高齢?TVの追悼番組は視聴率がふるわなかったらしいけど…。降る雨や昭和は遠くなりにけり?

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『25時』 インディアンの世界では白人で、白人の世界ではインディアン…の『小さな巨人』より、ユダヤ人と言われたりドイツ人と言われたりするこの作品がコワイ
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6月26日(木)
ベッドでの読書『日本の名随筆「死」』読み進む。川端康成が「青春の画家・竹久夢二」が老化したことを考えた『末期の眼』梶井基次郎を看取った母・梶井久の『臨終まで』太宰の死は断固情死とは言えないという石川淳『太宰治昇天』そして「きけわだつみの声」に書かれた学徒動員の学生たちの辞世と巣鴨のA級戦犯の辞世が理屈を放棄している「日本的」な点で酷似していると指摘する唐木順三の『自殺について(抄)』…どれも圧倒されました。《天皇の名を最も濫用悪用し》《私の見た軍人には偉い人はあまりいなかった早い話が高等学校の教授程度の人物すら将軍と呼ばれる人物のなかにはいなかった》と一兵卒に書き残される程度の人々に大日本帝国は導かれたのですね。東条英機の辞世《さらばなり有為の奥山けふ越えて弥陀のみもとにいくぞうれしき》を唐木順三は古人の猿真似と嗤う。I think so,too.日本人の歓声はキチンと総括が出来ないのですね。《A級戦犯より5か月前同じ巣鴨で絞首刑に処せられた30歳の元軍属が妻に宛てた遺言「オ前ニハ何一ツヨイ事ハシテヤツテイナイ。誠ニスマナイ。最期マデアヤマル」のほうが数等立派なことは誌しておいてもよいだろう》ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。豪雨に苦しんでいる人がいるというのに南関東は雨少々。なんでやねん?ワン。
6月26日(木)つづき
午後から連合通信の機関誌連合『文化生活特集』の連載『スポーツ博物館168回』を書く。長嶋茂雄さんのことかなやっぱり…と思って書いていると東京新聞「こちら特報部」から電話。やっぱり長嶋さん…?と思って電話に出ると橋本聖子さんがJOC会長に選ばれたことの感想を訊かれる。橋下さんは「五輪の申し子」だか何だか知らないけどアスリートと言うより政治家ですよね。それも言っちゃあ悪いけど陣笠ですよね。東京五輪2020の総括も聞いたことがなく札幌冬季五輪招致失敗の分析も聞いたことがない。IOCの世界平和に対する位置づけとJOCのやるべきことも聞いたことがない。トランプのトランスジェンダーに対する考え方に対する意見も聞いたことがない。それで再び五輪招致とは…嗤いますよね…という話を軟らかく話す(笑)。晩メシはダスティン・ホフマン主演『小さな巨人』を見ながら。アメリカン・ネイティヴを新し視点で描いたニューシネマもサスガに古さを感じるようになりましたね。ニューのつくものほど古くなるのかな?

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『ミスティック・リバー』 クリント・イーストウッドが監督したミステリアスな人間ドラマ。ショーン・ペンがアカデミー主演男優賞。ティム・ロビンスが助演男優賞です
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6月27日(金)
『日本の名随筆「死」』は小原秀雄『動物は死を意識するか』。それを「埋葬」と呼んでいいのかどうかはさて措き象のかなり死を意識した行動には心打たれる。《象の脳は同じ系統の河馬や犀などの有蹄類中最大で4〜5キロある》らしい。《象の墓場》という言葉があるが象は《土や木の葉で死体を覆い頭の傷には泥を塗る(略)。象のこうした行動の持つ意味が人間のそれに近いのではないか》と考えられ《人間は死を意識する唯一の生物》という考えは近年覆されているらしい。植物も会話していることがわかってきたし「僕らはみんな生きている」なんですね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。真夏の太陽がジリジリ。梅雨が来てないのに梅雨明け?ナルホド異常気象ですね。しかし地球の気象に正常気象ってあったのかなあ?地球46億年の歴史のなかで正常気象とは何時代のことを言うのかな?ワン?
6月27日(金)つづき
午後から機関誌連合の長嶋さんに関する短い原稿をキチンと仕上げてメール送稿。『チコちゃん』を見ながら晩メシ…と思ったら何故かNHKが映らない。アンテナが古くなったせいで土砂降りやカンカン照りによって映らないチャンネルが出現。所詮地上波テレビのことで気にならずNHKの『映像の世紀』やTBSの『報道特集』までに正常に戻ってくれればイイと思ってNHK-BSを録画しておいた映画『デッドマン・ウォーキング』を見始める。しかし…これは晩メシを食べながら見るような映画ではないとわかって明日に持ち越し。2人の殺人と強姦で死刑囚となりながら殺人の無罪を訴える男(ショーン・ペン)とその相談相手となった貧困黒人街で働く尼僧(スーザン・サランドン:この作品でアカデミー主演女優賞受賞)の物語。被害者の家族の反応や加害者とその家族の反応やアメリカ社会の描写が極めてリアルで原作は死刑廃止論者である修道女ヘレン・プレジャンのノン・フィクション作品。監督は『ショーシャンクの空に』や『ミスティック・リバー』(クリント・イーストウッド監督でアカデミー助演男優賞を受賞)に出演した俳優でもあるティム・ロビンス。途中まで見ただけですがこんなスゴイ映画をハリウッドが創れるというのがスゴイですね。明日が楽しみ。

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『デッドマン・ウォーキング』 スーザン・サランドンもショーン・ペンも素晴らしいリアルな演技。死刑や裁判制度の是非、貧富による差別等、深く考えさせられる映画
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6月28日(土)
『日本の名随筆「死」』は埴谷雄高『敵と味方』を読む。共産党批判=敵を創り敵を殺し続けた「党」の誤りをヒポクラテス・マルクス・エンゲルス・レーニンから説き起こす見事な論考。「党」の力の結果《革命と殺人》とが《ほとんど同義語》だったという事実を説明して《スターリン批判》も《効果の範囲は実際には極めて僅かであった》と書く。そして「敵」は人間でなく「制度」であり《すべての人間は味方》だと解く。でなければ《勝利するのは常に死でしかない》と。《レーニンは革命後の新しい権力について語るときすべての官吏は例外なく選挙によって選ばれまた何時でもリコールされるべきでその俸給は熟練労働者の平均賃金をこえてはならないという句節を言わばくどいほど繰り返し述べている》それを無視した共産党上部の幹部たちを筆者は批判するがレーニンの言葉は社会主義社会や共産主義社会だけでなく民主主義社会の官吏や議員にも当て嵌めるべきですね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。梅雨の鬱陶しい湿気がなく真夏のカラッとした陽射し。南関東は空梅雨で真夏を迎えるのか?それにしても暑い。高校野球は地方大会(予選)が始まったらしいけど是非とも小生と小林信也氏の共著『真夏の甲子園はいらない-問題だらけの高校野球』(岩波ブックレット)を読んでいただきたいですね。熱中症の危険を冒して日本一の野球高校を決める必要性なんて誰にも(マスコミ以外には)無いのですからね。ワン。
6月28日(土)つづき
デスクワークは本ホームページの更新原稿作り。糞暑い日の仕事のBGMはモーツァルトやマーラーやシベリウスよりもベートーヴェンだと気付く。ベートーヴェンのシンフォニーは猛暑のなかで爽やかですね。それもドイツ系の重厚な演奏でなく若きバースタインとニューヨーク・フィルの名演は絶対にオススメです。夕方はTBS『報道特集』を見て兵庫県知事の厚顔さに呆れる。晩メシのあと映画『デッドマン・ウォーキング』を見ようとするとNHK『新プロジェクトX』で日本のラグビーが南アでのW杯で大敗したあと日本でのW杯で決勝トーナメント進出を果たすまでをやっていたのでソレを見てしまう。平尾の主張する「自分で考える」ラグビーの成功が讃えられたのは良かったしW杯の日本開催に妙な政治家が出てこなかったのも良かったけどジャパンの監督を務めた平尾がどんな馬鹿な経緯で解任されたかはもっと詳しく描いてほしかったなあ(苦笑)。しかし日本のラグビーは生前の平尾が言ってたとおり「宝塚(過激)と同じ様なモノ」になってしまいましたね。誰もがその存在を知っていて熱心な固定したファンは一定数存在するけど大きいな広がりはない…。

6月29日(日)
ベッドでの読書は『日本の名随筆8「死」』の長田弘『青春と死について』を読む。60年安保のデモで亡くなった樺美智子嬢に対するブント(共産主義者同盟)中央委員会の《君の死を償(つぐな)うものはプロレタリア世界革命の勝利目指し我々が闘う力を倍加することだけである》という政治的追悼文を痛烈に批判。翌年彼女を追うようにして亡くなった奧浩平の文章《とにかく樺さんは(略)多くの自称マルクス主義者達の欺瞞に満ち偽善に満ちた態度がなかった。彼女は自然にまたそうならざるを得なくてああなったのであってマルクス主義者になろうとしたのではない》との意見を支持する。樺嬢の母親の《そりゃ彼ら権力者たちは自分の都合のいい発言をするのが当然よ》という言葉も右と左に関係なく覚えておきたい。ワン。ベッドを出て猛暑のなか黒兵衛と散歩。梅雨時でないカラッと乾燥した暑さは気持ちいいですね。思いっ切りかいあ汗をシャワーとボディシャンプーで流してデスクワークは本ホームページの原稿作りをして(株)bitさんにメール送稿。そのあと『デッドマン・ウォーキング』を見る。普通の人間が殺人犯にまでなってしまう一つの経緯が見事に描かれた名画でした。毒殺による死刑の方法が詳細に描かれているのもナカナカでした。こういう映画を創れるアメリカ人とハリウッド映画はやはり馬鹿に出来ませんね。

6月30日(月)
昨日は『デッドマン・ウォキング』のスーザン・サランドンとショーン・ペンの演技に感激して寝る前に酒呑みながらEテレで見た『仮名手本忠臣蔵』四段目「判官切腹」と「表門明け渡し」について書き忘れ。仁左衛門の由良之助と勘九郎の塩冶判官は見事でしたね。唯この三月歌舞伎座公演は松禄&菊之助の若手も演じたはずでそっちも見たいですね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。猛暑。云うまいと思へど今日の暑さかな…と漱石も詠んだくらいですから明治の日本もケッコウ暑かったのかな?もちろん地球温暖化の現在と較べればじっとマシだったようには思うけど…どうだったのかな?テレビではフィリピンから来た観光客が日本のほうがフィリピンより暑いと言ってましたね。そう言えば映画『アラビアのロレンス』よりも『野良犬』のほうが暑そうな世の中に見えますからね。日本は東南アジアや中近東より暑いのかな?あるいは暑く感じる何か別の付加要素があるのかな?ワン。

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