「走る」ことをテーマにした小説で最も有名な作品は、イギリスの作家アラン・シリトーが1959年に発表した『長距離ランナーの孤独』だろう。
作品を読んでない人でも、タイトルだけで長距離走者(マラソン・ランナー)は孤独に走り続けるのだな……と想像でき、読書欲をそそられる。
が、ストーリーは少々違う。 主人公は労働者階級の母子家庭に育った少年で、万引きを繰り返して逮捕され、少年院に入れられる。
そこで「走る」ことに目覚め、長距離走者として力を付け、町のクロスカントリー大会に出場。打っ千切り(ぶっちぎり)の1位を走り続けるが、その間に、自分が優勝すれば、自分を虐めた警官や太鼓腹をした陰険な少年院の院長が、自分たちの教育の成果として自慢する……という思いが湧く。
そこで、ゴール直前でスピードを落とし、2位を走ってきた少年にわざと優勝を譲る……というストーリーだ。
映画化もされ、十数カ国語に翻訳された傑作だが、「走る」ことへの目覚めが、青年の「反抗心」の惹起に繋がっているためか、スポーツの世界で推薦されることは聞いたことがない。
村上春樹氏は、日常的にフルマラソンを走る作家で、小説を書くことは「不健康極まりない作業」だから「その毒素に対抗する免疫システムを作りあげる」ために走ると言う(『走ることについて語ることについて僕の語ること』文春文庫より)
「走ることをテーマにした小説」と、実際に「走ること」とは無関係で、名作『長距離ランナーの孤独』を読んだからといって、金メダルをとることには繋がらないでしょうが、「走ることの意味」は深まるでしょうね。
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