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7月22日、板東英二氏が逝去された。享年86。
徳島商高時代にエースとして夏の甲子園大会に出場。延長18回0対0で引き分け再試合などを勝ち進んで準優勝。
1試合25奪三振や1大会83奪三振の今も残る甲子園記録を残してプロ入り。
中日ドラゴンズのエースとして通算77勝のあと、野球解説者・人気タレントとしてテレビで大活躍。俳優としても向田邦子原作の映画『あ・うん』で高倉健と共演。日本アカデミー賞とブルーリボン賞の助演男優賞を獲得した。
が、メディアがあまり報じなかった少年時代にこそ、彼の"凄い人生"があった。
満洲で料亭を営む家の4人目の末っ子に生まれた彼は、5歳でソビエト軍の侵攻を体験。
女性を暴行するソ連兵から、風呂桶の中に隠れた母を守るため、蓋の上で遊ぶよう命じられたこともあったという。
誰もが栄養失調でボロボロの身なりのまま、満鉄の無蓋貨車での逃避行が始まると、動いたり止まったりの汽車で、尿意を催し貨車から降りた人が、突然動き出した汽車に轢かれ、叫び声とともに亡くなったり……。
絶望した母は、末っ子の英二氏を中国人に売ろうとしたともいう。
そんな激烈な経験を板東氏は、58歳になった1988年『赤い手』(青山出版社)と題した自伝に残している。
題名は、貨車から降りていた板東少年が、突然動きだした汽車を走って追いかけ、飛び付いた母親の手に握り締められた手が真っ赤に腫れあがったことを指している。
以来、英二少年は、母親の手を絶対に離さなかったという。
小生も生前の板東氏から、満洲時代の話を聞いた。「私は中国の残留孤児にならなかっただけでも幸せ者」と笑う彼の笑顔の背後にあった苛烈な生涯を忘れないでいたい。
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