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日本のマスメディアのスポーツ報道が、ワールドカップ一色に染まってるとき、極めて重要なスポーツの話題が、世界を席巻した。
たしかにサッカー日本代表が、決勝トーナメントの1回戦でブラジルに敗れ、ベスト32で消えてしまったことは残念だった。さらに、そのブラジルが"怪物"と呼ばれるハーランド選手を擁するノルウェーに敗れ、ノルウェーもまたイングランドに敗れ……となると、優勝を目指す日本サッカーの前途は、まだまだ多難と言わざるを得ないことも判然とした。
が、その間に、世界のスポーツ界には、それどころではない大事件が起きたのだ。
国際オリンピック委員会(IOC)のカースティ・コベントリー会長が、けっして大袈裟に言うのではなく、驚くべき発表(!)を行っていたことを、無視して良いはずがないだろう。
その驚くべき発表とは、6月24日のIOC臨時総会で決定されたことで、コベントリー会長が、「すべてのオリンピック出場選手に、1万ドル(約160万円)を支給する」と発表したのだ。
しかも、今年のミラノ・コルチナ冬季五輪に出場した選手から、続く五輪大会の出場選手全員に支給されるという。
これは、「賞金でもなければ、報奨金でもなく、選手の努力を讃えるもの」(ガソル選手委員長)らしい。が、結果的には、主催者(興行主)としてのIOCが、選手に報酬(ギャランティ)を支払うことになるわけで、この決定の持つ意味は、オリンピックの存立価値(平和運動としてのオリンピック運動)を揺るがすほどのものになる危険性がある。
そもそもオリンピックは、元々無報酬でスポーツを行うアマチュア選手を中心に生まれた。しかし無償でスポーツを行うアマチュアリズムを遂行できるのは、有閑階級(貴族階級)の人物だけで、アマチュアリズムは労働者階級のアスリートを排除する差別思想だという批判が起こり始めた。
と同時に、社会主義諸国から国家公務員としてスポーツに専念し、国際大会で好成績を残して国威を発揚する"ステートアマ"と呼ばれるアスリートが出てきた。さらに企業の社員(宣伝部員)としてスポーツに専念する"カンパニーアマ"、軍隊でスポーツに励む"ミリタリーアマ"、大学職員(体育教師)としてスポーツに専念する"カレッジアマ"なども生まれ、プロ選手とアマ選手の区別を付け難くなり、IOCは1974年にオリンピック憲章から「アマチュア」の文字を削除。プロ選手の参加を認めるようになったのだった。
が、オリンピックの主催者としてのIOCが選手に"ギャラ"を払うことは行わず、IOCの発表によれば、全収入の90%を様々な競技団体の支援や、貧困国のスポーツ支援、若者のスポーツ支援などに使ってきたという(ジンバブエ出身のコベントリー会長もその支援のおかげで、独裁政権と良好な関係を保ち、アメリカ留学の結果、金メダリストになれたという)。
しかし、状況に大きな変化が起こった。というのは、国際陸上競技連盟のセバスチャン・コー会長が、パリ五輪の陸上競技の優勝者に、5万ドル(約800万円)の賞金を支払うと発表。その原資としてはIOCから4年に1度配分される240万ドルを当てるとも発表。つまりはIOCの資金が"賞金"に流れるという事態が起こり始めたのだ。
さらに2014年頃からアメリカの全米大学体育協会(NCAA)の主催するアメリカンフットボールをはじめとする学生(アマチュア)の試合を、アメリカの連邦裁判所や地方裁判所が、次々と反トラスト法(独占禁止法)違反と認定。要するに多額の収入を産み出している学生のスポーツ選手たちを、ノーギャラで働かせる(スポーツをさせる)のは法律違反とする判定が下ったのだ。
そのあたりの事情を、コベントリー会長にインタヴューでぶつけるジャーナリストや、元五輪アスリートも現れ、IOCも先に手を打たないといけないと考え、出場選手への金銭の支給に踏み切ったのかもしれない。
五輪出場選手全員に1万ドルという額は、ミラノ・コルチナ冬季大会の出場選手が約2千9百人だったから、総額2千9百万ドル(約46億4千万円)。ロス五輪では約1万1千人に1億1千万ドル(約176億円)で、年間予算約30〜40億ドルと言われているIOCにとってはお安い御用と言える額だ。
また難民選手団の選手や、亡命選手、無国籍選手にとっては、喜ばしいことと言えるだろう。
しかし、これは絶対に後戻りできない危うい行為で、オリンピックはIOC自ら資本主義の世界の真っ只中に飛び込んでしまった、という言い方もできそうだ。
つまりIOCが金権主義とか金儲け主義と非難されたのは過去のものとなり、IOCは、出場選手の利益のためにも資本主義の原理原則ーー拡大再生産で利潤を獲得し続け(金儲けをし続け)なければならない組織へと変貌することを余儀なくされた、とも言える。
そこで、これからのオリンピックに何が起こるのか? まず人気のない(カネにならない)競技は廃止する(それでスキー複合の廃止が、まず槍玉に挙がったのか?)。
そして多くの国々の選手、とりわけ強い選手の多い国の選手の参加を促す。だから7月7日に、ロシアとベラルーシの選手に対する資格停止処分を解除したのか……とも思えるし、オリンピック休戦の間中に、イランに対して戦端を開いたアメリカに、IOCが何の処分も発表しなかったのも、そのためかとも思える。
要するに……スポーツによって、平和な社会を構築する、などというオリンピック運動の根本原則は、完全に無力な御神体(画餅!)として祭り上げられるのだ(おまけに各国のNOC=国内オリンピック委員会を通じて配布されるこのカネが、独裁国家や専制主義国家の政府の手によって、政府予算に加えられ、戦費に使われる可能性もある?)。
とはいえ、それ(ギャラの支給)は多くの人々が望んでいることかもしれない。アスリートはカネを得ること望み、観客は古代ローマのコロッセオで闘ったグラディエーターさながらの激しい闘い(ドラマ)を望み、サッカーW杯で行われたダイナミック・プライシングのような高額な入場料にカネを出す。
まるで"ローマの休日(他人の犠牲のうえで有閑階級が休日を遊ぶこと)"のような存在に化し、出口の見えない袋小路に入り込んだ現代スポーツは、ゼロから考え直すときが来たのかもしれない。
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